一度感じた苦しみを手放せません
よろしくお願いします。
「一度感じた苦しみは手放さないでずっとそのまま握りしめてしまう」ことが悩みです。
心の健康的には非常に良くないことをやっていると、自分でも思っています。
しかし、この苦しみをエッセンスにして、自分の人生の楽しみかつ苦しみの「絵を描く」行為を続けたいと思っています。
本意は「絵を描きたい」だけに集約されると考えているのですが、そこに絵を描くこと自体への苦しみ以外に、他の苦しみを付着させなければいけない、という観念にとらわれているのではないか、と感じます。
それが先立っているのか、後からきたものなのか分かりませんが、「あらゆる場面で感じた苦しみを手放してはならない」という強迫観念のようなものが、自分の中にはあります。
そして現在、その苦しみが大きくなりすぎて、筆を握ることができなくなりました。
あらゆる苦しみは己を成長させると聞きますが、過負荷であることを心のどこかで認めていないのではないか。はたまた、認めてしまったがゆえに絵がかけなくなったのではないか。私には分かりません。
絵を描くことが、人生での唯一の楽しみなので、早く描けるようになりたいです。
この苦しみを握りしめる手を、どのようにすれば自分で程よく解いてやれるのでしょうか。
それとも、一度握りしめると決めたことは、そのものを苦難として捉え、このまま乗り越える術を見つけなければならないのでしょうか。
理系会社員。研究開発職。 現在一人暮らし。 香川の実家には、要介護の祖母、仕事しか頭にない父、全てを誰かのせいにして諦めたがる母、自律できてない妹。(家系としては真宗興正派) なんでも一人で考え込むタイプで、社交性を育てていきたい。 気持ちを燃やしておもきいり絵が描ける人生を送りたいです。 [分からないもの]に対して「おもしろい、やってやる」と闘争心を燃やしがち。 最近は自分そのものに対して興味がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私には芸術家の考え方は到底理解できないのですが、これも何かの縁ですから、仏教的な考え方をお伝えします。
あなたは苦しみを心に留めているようですが、それだけでは(仏教的には)意味がありません。
更にそこから、苦しみの原因を見つけるのです。それが見つかったら更にそこから、その原因を取り除く方法を考えるのです。その方法を考えたなら、あとは実行するのみです。
これが仏教的な考え方です。
苦しみを苦しみだけに留めずに、そこから原因を見つけ取り除いていく、そうすることで苦しみが無くなるのです。
仏教は苦しみを無くす為にあるのですから。
あなたの芸術的な考え方と相反する考え方かもしれないですが、何かの参考になりましたら幸いです。
機会があれば是非絵を見せてくださいね。