優しいだけではいけませんか
どれだけ頑張って成果を出しても両親からはそれくらいできて当たり前だと言われて褒められたことがないから自分がすごいなと思ったことは素直にすごいですねと褒めさせてもらい感想を伝えるようにしていました。いじめられるのも無視されるのも自分はされたら悲しくなるので周りがそのようなことをしていても自分は相手にも周りと同じ態度で接するようにしてきました。しかし、その結果は依存しようと近寄ってくる人の増加とセクハラでした。セクハラはあまりにも不快だったので気付いていないように振る舞いながら証拠を集めて上司に報告しました。報告が終わってから浮かんだのは「もっと面白おかしく転がってくれたら良かったのに。つまらない」という感想でした。優しいだけでは自分はただ都合良く利用されてしまう、自分を守るためには時に自分を餌にしてでも報復できる苛烈さも必要なのではないか。しかし楽しい、面白いという感情で弱さを補強しなければ自分は耐えられないだろう、と考えました。先ほどの質問は質問の仕方が悪かったことに気付いたため文章ごと書き直しました。優しい人間になろうと選択したのは自分なので選択自体に後悔はありません。よろしくお願いいたします。
怒りを感じない代わりに事態を面白おかしくしたくなる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
優しく優れたひとへ
前回の質問も拝読いたしました。
子供の頃からいい子にしていても、何の褒美もない。
だから、大人になってからも、褒美をもらうため、いい子にしておられたのですね。
なのにこのザマ・・・
報われませんよね。
「自分を餌にしてでも報復」という過激な言葉の裏に、あなたの怒りと悲しみを感じました。
ご自身が受けた苦痛と同様の苦しみを与えたかったのですね。
充分に叶わなくて悔しかったでしょう。
でも、もういつかどこかで、頑張らない強さを持っていただければと私は思います。
報復などと、あなたらしくない行動を無理して取らなくてもいい。
人に優しく接すること。
その生き方が、あなたに合った生き方なのですから。
それが、あなたにとって、無理のない生き方です。
世の中には変な人がいます。
優しくしていれば、依存、甘えの心で接してくる人もいます。
それを、どう処理していくかが、あなたに与えられたこの世での修行かも知れません。
今回のセクハラ。
怒りの感情もあったでしょうが、冷静沈着な優れた行動だと私は感じます。
報復よりも、自分を護ることが大切なのです。
相手を攻撃する必要はない。
逆に恨みを買うだけだ。
だから、自分の身が危険にさらされれば、ただひたすら自分を護る。
あなたは、優しく生きようと決心されました。
それは、あなたにとって、いばらの道ではあるけれど、自分らしく感じられる生き方でもあるのです。
「優しい」とは「すぐれる」とも読みます。
そんな優れた人への道を、一歩ずつ進んで下さい。
優しい〝ホンモノ〟になりましょう
前回で伝わらなかったであろう部分も含めて、心からの叫びとして有り難く読ませていただきました。
優しさを求めると大変です。でも、仲間もいっぱいいますし、気持ちよく生きられると思います。
ただ私は優しさのスペシャリストでもありませんし、お伝えできるのは私は仏教をこう理解しているという範囲に限られております。
それでもお伝えしたかったのは、私も含めて〝自分〟と思い込んでいる思考から離れて、今回のお話からいけば、「本当の優しさとは?」と問い続けることが生きることかと思います。思考に振り回されて辛い気持ちを繰り返すのではなく、教養の1つとして仏教を学んでみてはいかがでしょうか?
頭の中で考えつかない広〜い世界が待っていると思います。
ネットで磨塼寺(ませんじ)と調べてみてください。私はここで、元気をもらってます!
質問者からのお礼
おはようございます。おっしゃる通りでずっと悲しくて辛かったです。ですがそれを読み取った上で否定せず受け入れていただけたことと優しくて丁寧なアドバイスに救われました。自分が餌になれば関係ない人も友達も巻き込むことはない、自分だけが傷つくだけで済むと考えていましたが自分が人とどのように関わり接していくかを考え、得た答えを実践していくことで変化が起こせるかもしれないと思いました。ありがとうございます。まずは肩の力を抜いて生きることから実践していきます。本当にありがとうございました。