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何となく怖かった神社

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こんにちは。仏教のお話ではないのですが、神社関係の人に「何だか怖い感じがしたからもう行かなくてもいいでしょうか」と言いづらくてここで質問してしまいました。些細な事を気にしているだけだとは思うけれども、お暇な時に教えていただけると嬉しいです。

自分が住んでいる土地の神様にはまず挨拶に行くものだと聞いて今住んでいる所の神社にお参りしたのですが、晴れた日の午前中だったので明るかったし、いわくつきの噂など先入観なく初めて行ったのだけどその神社が何となく怖かったんです。このままもう二度とお参りしないでいてもいいでしょうか。

ここにずっと住むわけではないし、嫌な感じがしたけどまあいいかと思ってあとしばらくやり過ごせばいいのですが、神社があるのに全然お参りしないと罰が当たるのかな....なんてちょっと気にしています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

造作者の意図

Oh,あなたは感性の豊かな人ですね!その感覚は正解の1つでしょう。

そもそも論な話、「神さまは慈悲深くて優しい!」という最近の認識は西洋化によるものです。古事記とか日本書紀のような日本の神話を読めば分かりますが本来、「日本の神さま(というより多神教の神々)は恵みも与えるが時に荒ぶる」のです。

自然界だってそうですよね。川の水は生活用水となり、作物を育てて我々を育んでくれますが、時にこのたびの豪雨災害のように荒ぶります。私もほとばしる山水と氾濫スレスレの川に囲まれて行き場がなくなりました。
でも、あま〜いフルーツトマトはかつて、津波による塩害によって生まれたそうです。世界史的に言っても川の氾濫原は養分が流されてくる豊かな農場でした。荒ぶることそのものが恵みでもあるわけです。
きっと今回の豪雨もワカメや牡蠣の養殖には恵みになったのではないでしょうかね。彼ら(?)は下水が整備されすぎて川から流れてくる養分が減り、栄養失調気味だったそうですから。

そんな風に恵みと荒ぶるのが表裏一体である…優しさと恐ろしさを持ち合わせている…それが自然界の姿です。

そしてその自然界への『畏怖』と敬意もまた、日本人にとって古来の信仰心なんです。だから神社に行って「怖い」と感じるのは間違っていません。童謡にも言いますでしょ?「行きは良い良い、帰りは怖い」と。そういうモンなんですよ。
むしろキャピキャピ参拝して「神様は優しいからこのくらいじゃ怒らないでしょ!」なんて言ってる人達こそ、私は違和感を禁じ得ません。

ついでに言えば「お参りしないと罰が」という感覚も方向性として正解(本当に罰が当たるわけではありませんよ)。神道のお祭りは「お接待するから荒ぶらないでちょ!節目節目で助けてほしいけど、普段は大人しく寝ててちょ!え?まだ寝ない?さぁさぁもっと呑んでくだせぇ」というとても人間臭い発想です(笑)
だから特に何もなければそっとしておいて差し上げるのも1つの選択肢。逆に足繁くご機嫌うかがいに参上するのも1つの選択肢。
そして何より、無理にとは言いませんけど出来れば、畏(おそ)れだけでない、もっと色んな神様の顔も知って欲しい。宗教家としてはそのように思います。火山やトルネードだって恐ろしくもあり、神々しく美しくもあるでしょ?そんな風に造られているんです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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神仏は罰はあてません。

無理して行かれなくてもいいでしょう。
神社と言っても、様々な神様をお祀りされています。どのような由緒・いわれがあって建立されているのかここでは分かりませんが、気になるなら一度調べられたらどうですか。
納得できれば、参拝の仕方も、思いも変わるでしょう。
また、神仏が罰をあてることはありません。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

鈴木海祥先生、ありがとうございます。

土地の神様に挨拶して、それからは定期的にお参りしなきゃ...と、少し強迫観念のようなものがあったのですが、おかげさまで楽になりました。ここを引っ越した後は神社のない国で暮らしていくことになるから神社にお参りしないと何か(障り?)があるのではないかと心配してもどうしようもなくなくなる、心配するのはやめようと思っていたのですが、それでもやっぱり少し気になっていたことだったので、すっきりしてよかったです。あの場所で怖い感じがしたのはなぜだかわからないし、知ろうとして調べたりもしませんが、何にしても本能的に何となく嫌な感じがする所には行かないほうがいいのかもしれません。行かなくても罰は当たらない、ほっとしました...ありがとうございます。

大慈先生こんばんは、ありがとうございます!

何となく怖いって一体何なんだろうと思っていたのですが、そういうことだったのですね。その神社は一歩表へ出れば大通りを車が通っているのにそこだけ緑(自然)が残されていて妙にしーんとしていて、異空間という感じでした。あれは昔の人達が神様を畏れてその領域を守っていた独特の雰囲気だったのかもしれませんね。どんなに祈ったりお供え物をささげても天災が起こる時は起こるけれど、それでもやっぱり神様を敬いなだめようとする人間の心がずっとあったのですね。例えば火の神様とか何とかの神様とか色々な分野の神様がいると考えたり、神棚を目線より高い所に置いて見上げる人々の気持ち、神様の種類に拘らず個人的に良い心がけだなと思います。

神様のご機嫌伺いに通うのを止めたら本当に罰が当たると思っているわけではないのですが、この先ぱたっと永久に行かれなくなることを考えて私は最初から深く関わらないでそっとしておきます。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ