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100

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

「ほどほどに」が苦手です。

なので「ほどほどに」を意識するよう心掛けていますが、うまくいきません。

何故か「100」時には「120」になってしまいます。

他の人が「ほどほどに」でも何とも思わないのですが、自分が「ほどほどに」だとダメに思えます。

『調音』というのがあります。

ピアノの先生が演奏したものを、耳で聴きとり楽譜(譜面)にする、というようなものです。

私は、2歳の時からピアノを習っていたのですが、そのピアノの先生が「将来、音大や芸大に行けるように」という方針の方で、とても厳しいレッスンを受けていました。その時に『調音』も習いました。

小学校に入る頃から、ますます普段のピアノのレッスンもですが、特に『調音』は高度な技術を求められるようになり、ついには「1回しか弾きません」「1回で譜面にしなさい」と言われるようになりました。

何だかいつも必死に食らい付いている感じでした。

その時の「1回で完成させる」というのが、頭にこびりついてしまい、何をするにも「1回」で「完璧」に、という風になってしまい、それがキツイので、今、その呪縛をときたいと思っています。

有言実行だし無言実行だし、一度「やる!」と決めた以上「やるしかない!」となり、毎度毎度100%以上を求めてしまいます。

昔、親から「1位になったらSOGO(デパート)買うてやる!」と言われ、1位になりましたが、「うちがSOGOなんて買える訳がない!」と言われました。

「そんなの出来る訳ない」「無理に決まってる」と思っていても、達成しないと自分を責めてしまいます。

イヤでも、脳が勝手に「1回で全部覚えろ!」みたいな指示を出します。

100%なんて所詮無理なのは分かっています。

でも、「1回で全部覚えろ!」と指示が出れば「1回で全部覚える」のです。

バカみたいに一生懸命頑張ってきました。

そろそろ「ほどほどに」になりたいです。

弱音を吐かない部分においては『七転び八起き』や、ドリカムの歌『何度でも』で良さげですが、2歳スタート時から、ずっと「ラストスパート」状態です。

「ほどほどに」っぽく振る舞ってみているのですが、なかなかなれません。

どうしたら「ほどほどに」になれるでしょうか?

医学的なアドバイスではなく、仏様的なアドバイスをいただけたらと思います。

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

水のように

質問読ませていただきました。

わかっているけど手を抜けない、やると決めたら100%以上・・・
私の身内にも、そういう方がいらっしゃいます。
自分が頑張りすぎてしまうから、周りも巻き込んで困らしてしまう・・なんてこともあるのではないでしょうか?
心中お察しいたします。

個人的には、頑張れることも一種の才能ではないか、何かを成し遂げる人というのはそういう方なんではないかな、と羨む部分もあります。
しかし、トラスさんはそのことで悩んでおられるということですので、こんな譬えをお話しさせていただきます。

私の宗派では、「火のような信仰」と「水のような信仰」という2つの形があると言います。

火のような信仰とは、思いついたように一生懸命やり過ぎて、息切れしてしまい、疲れたからもうやめよう、というような信仰の仕方です。

水のような信仰とは、滔々(とうとう)と流れる水のように、静かに落ち着いて長続きするような信仰の仕方です。

信仰とは、人生をかけて自分が亡くなるときまで続けなければなりません。とすればどちらのスタイルをとるべきか一目瞭然でしょう。水のような信仰を心がけるべきです。

しかし、水のような信仰を行うためにはどうしたらいいのでしょうか?
それは自分の限界や現状をしっかり見極めることです。
その中で、精一杯行えばそれで良いのです。

元気な人、身体の不自由な人、忙しくて全く時間のない人、時間を持てあましてる人、経済的に豊かな人、貧困に悩む人・・・様々な方がいらっしゃいます。
そんな方達に、一律に「これだけやりなさい」といっても不可能でしょう。
ですので、自分自身をまずしっかりと見つめ、自分は何が出来るのか?をしっかり考えて下さい。それで十分ですし、仏様はその一生懸命な姿を見ておられます。

というような内容です。

自分自身を見つめるというのはなかなかに大変で、ときには辛いことかもしれません。

しかし、彼を知り己を知れば百戦あやうからず、と申します。
ゆっくり、じっくりまずは自分と向き合ってみて下さい!

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おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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ONとOFFを

こんばんは。

 なるほど。
 確かに私もhasunohaの回答で「ほどほどに」と答える事がありますが、私がそんな「ほどほど」生活を送っている訳ではありません。
 例えば卒塔婆という、1mくらいの木の板に墨で字を書く時があります。裏表があり1本1本手書きです。お年忌一霊につき1本、それとは別にこのお盆の時期には100本くらい書きます。1本1本が失敗のできない一発勝負です。「ほどほど」なんて言っていられません。お葬式などの法要だって、失敗はできません。やりなおしはできません。大変な緊張感の中でやっています。つねに100%、120%が求められます。

 一方でお坊さんたちは、法要前や法要後の待合室では、とてもリラックスしています。お葬式の前後にリラックスしている事は、お葬式のご遺族に対しては不謹慎と思われるかもしれませんが、ここでのリラックスが、葬儀の緊張感につながっているんだと思います。つまり、ONとOFFをしっかりすることで、心のバランスを保ち、しっかりするべき所で集中できているんだと思います。

 ですから、あなたも、100%、120%の力を出している時はそれで良いと思います。そして、終わったら「やれやれ休憩」といって休めば良いと思います。私なんか卒塔婆書いている時はすぐ休憩しちゃうから全然進みません(笑)

お礼を読んで追記

 なるほど。はじめると止まらないようですね。時間を決めて、強制的に休憩を入れるようにすると良いと思います。アラーム付きの時計などでね。何分やったら何分休む、何時になったら寝る、って。そうした方が効率が良いですし、体のためにも良いと思います。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

誠海様、こんばんは。お返事ありがとうございます。
『自分の限界や現状をしっかり見極めること』『その中で、精一杯行えばそれで良い』とのこと。よくよく分かります。そうしたいですし、
そうなりたいです。
でも、例えば、勉強し過ぎて、「あれ?手が動かない…」となり、病院に行けば「腱鞘炎ですね」と言われるまでやり続けてしまったり…ピアノでも、耳栓して、目にはハチマキをして、見えない聴こえない、それでも弾くことが出来るか録音して確めたり…。
『自分自身をまずしっかりと見つめ、自分は何が出来るのか?をしっかり考えて下さい。』
自分に出来る限度があるのに、やり過ぎてしまうので、まずは「限度でストップする」ことから始めないといけないのかも知れません。貫徹は1週間しかもたない、1週間し続けたら腱鞘炎になる、ぐらいの「限度」しか分かっていませんので。
『自分が頑張りすぎてしまうから、周りも巻き込んで困らしてしまう・・なんてこともあるのではないでしょうか?』
これについには、両親いわく、「1人で勝手にのめり込んでいる」だけで、周りは「呆れてしまう」ぐらいのようです。1人で勝手にしているので、巻き込まれはしないと言っていました。自分でも、集団ではなく1人で行動する「一匹狼」みたいなものだと思っています。
他人に迷惑をかけていたら、即刻やめたいですが、現状、自分自身に迷惑をかけているので、徐々にでもいいからやめたいです。
『ゆっくり、じっくりまずは自分と向き合ってみて下さい!』分かりました、向き合ってみます。
今は、命を削って頑張っているみたいな感じです。『70』ぐらいでOKできる人になりたいと思います!

光禪様、こんばんは。お返事ありがとうございます。
『ONとOFFをしっかりすることで、心のバランスを保ち、しっかりするべき所で集中できているんだと思います。』とても良い考え方ですね。私はほとんど寝ませんし、ずっと何かしていてONとOFFがないような気がします。難しいとは思いますが、そうなれるよう軌道修正したいなぁと思います。
うーん…
大変そうですが頑張ります!!!

光禪様、追加のお返事ありがとうございます。『タイマー』ですか…『強制的に休む』ことは大事でしょうね。食事もトイレも何もかも忘れて没頭してしまうので、良いかも知れません。うまくいくか分かりませんが、一度試してみます!そのようにして、いろいろ試してみるしかないですね。ありがとうございました!!!

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