必ず来るこの時期
男性とお付き合いしていると、必ずといっていいほど「好きかどうか分からない時期」というのがきます。
友人らを見ていると好きの気持ちが一定で、いつも羨ましくなり「私はさほど今の彼を好きではないんだな、、」と落ち込んでしまいます。
好きかどうか分からないといっている時点で、好きではないのでしょうか。
それともこういう時期は誰しも訪れるのでしょうか。どう乗り越えるべきなのか教えていただきたいです。
相手に正直に話そうかと何度も考えてしまいますが、それは相手を傷つけるだけに過ぎないですよね。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
好きを信仰しない
「好き」という言葉を信じすぎないことです。
好きという感覚は脳内にフェニルエチルアミンが多量に分泌されている状態なんです。ところが、この分泌物は3年、長い人で4年で減ってくるのだそうです。もちろん個人差でもっと短いスパンの人もいるでしょう。
それに結婚し、出産すると心身が子育てモードになり、人によっては夫のことが気持ち悪くなる場合もあります。本当に症状が重い人だと指一本触れられるだけで鳥肌が立つほどです。それがひと段落してしばらくすると、今度は更年期障害です。それもひと段落すると夫が退職した頃に夫源病。パートナーとの感情は山あり谷ありなんですよ。(念を押しますが、もちろん個人差がありますよ。)
本当はこういった変化を1つ1つ乗り越えてこその絆なんです。ウブなころのドキドキが一生続くわけじゃないのですよ。でも、世間の大人は恋愛至上主義でゴリ押しすることばかり教えている。だから3人に1人が離婚するような社会になったんです。テレビドラマとしては美しいけど、恋愛の理にかなっていないんです。
だから本当の本当に生涯一緒にいたい相手であれば、ライフステージの1つの段階として冷めるものだ…でもそれを一緒に乗り越えて関係を深めていきましょうね…ということを、パートナーと一緒に予習していかないとダメなんです。
そしてもっとそもそも論な話をすると、そういうことを受け入れない限り、いつまで経っても本当の意味で結ばれることは無いのです。
こういうことは理屈より経験で生きていた大昔の人たちの方がかえってよく分かっていたことです。大昔の人たちは「好きとは心が浮ついているだけだ。そんな一時の感情で生涯の伴侶を決めるのは絶対にダメ。」と言っていましたよ。恋愛至上主義はバブリーな時代からもてはやされたものです。
だから逆に言うと、「必ず来るこの時期」、それで良いんです。それが自然で健全なんです。でも、この冷静になったころに生涯を共にすべき相手かどうか、一旦立ち止まって考えてみるのは大切です。好きな感覚で盲目的になり、彼のあまりにもダメな部分まで好きになっていなかったか?どこまでのダメな部分は許容しないとダメか?ただし、「もっと好きな人がいるかも」という考え方だけはしちゃいけませんよ。好き信仰の振り出しに戻るだけですから。
結婚まで考えない彼氏彼女の関係なら黙っといていいと思いますけどね。
質問者からのお礼
すごく腑に落ちました。
「好き」という言葉ばかりに縛られないで、いろんな感情を大切にしていきたいです。
ありがとうございます!