1人は気楽なのにここ最近寂しくなる
わがままな質問なのかもしれないですが、お許しください。
自分は1人の時間が好きなはずなのになぜかここ最近1人が好きなのに寂しい気持ちと不安の気持ちが混ざり合ってます。
数年以内には数少ない友人との進路が分かれること(自分は大学院に進学してその後就職しようと決めています。)を考えると不安になります。
友人の一部は恋愛をしており、純粋に自分はその友人を応援しています。しかし、この先の将来、友人の結婚とかで何かあった時に話せる人がいなくなると考えると、1人が好きな自分のはずが、寂しい気持ちになります。
通学の際のカップルとかを見ると心の拠り所がある人が羨ましく思いつつも、一方で人間関係や1人の好きな時間の取り方の難しさを考えると、1人が良いけど寂しいという、かなりわがままな気持ちになってしまいます。
もちろん、大切に自分を育てて頂いた家族がいますしこの質問は甘えているだけとも思っています。しかし、いつまでもこの状態を1人で抱え込んで引きずるのは良くないと思い、質問を送りました。
この相反するもやもやした悩みの解決方法がございましたらご教授頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自我意識と本来性
ご相談拝読しました。
>1人は気楽なのにここ最近寂しくなる
という気持ちはわがままではありませんよ。ごく自然な気持ちであると思います。「楽」ということと、「満たされる」ということは別であるからです。
「楽」を求めると人間は最終的には孤独になり寂しく空しくなってしまうのです。人間の自我というのは何でも「思い通りにしたい」と望みます。しかし現実は「何一つ思い通りにならない」と教えるのが仏教です。
それでも人間は楽さを求めて煩わしいもの、面倒なものを排除する傾向があります。他人との関わりはその典型的なものですね。
しかしそれは楽ではあるけど「満たされない」のです。それは自我意識としては「楽」という都合の良さを求めつつも、自我より深い意識、本来性としては「つながり」を求めているからです。
他人と関わることは面倒です。思い通りになりませんからぶつかり合うという摩擦が生じます。しかしその摩擦が生み出す熱が「あたたかさ」です。それがあなたを満たしてくれるものです。
でもそうは上手くいかず疲れてしまうのもわかります。ですからあなたはこのもやもやした悩みと上手く付き合っていく必要があります。それは大事な問いだからです。
寂しい時は自分の都合のみを優先して自ら孤独になってしまってはいないかな?と問い返し、しんどい時は他との関わりの中で自分を押さえすぎていないかな?と問い返していきましょう。
何が「楽」かということと、何が「本当に満たされることか」ということを考えつつ、あなたのいのち本来の願いを聞くことを怠らず、この問いを小手先のごまかしのような考え方で解決しようとするのではなく、あなたが人間であるが故の必然的な悩みなのだと引き受けて生きていってください。
あなたは甘えているとか良くないなんてことはありません。きちんと大事な事に向き合い始めたのだと思います。あなたのこれからを応援しております。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
とても参考になります。そして応援していただき、ありがとうございます。
大事なことに向き合いつつ頑張りたいと思います。