親の愛
私は今朝も母にあたってしまいました。私が朝起きると母はご飯を電子レンジで温めて味噌汁をガステーブルで温めてくれました。しかし気がせく私は母に「ご飯なんか温めなくていいよ。」と、怒りました。
せっかく息子に温かいご飯とみそ汁を食べさせてあげたいという母の気づかいをぐしゃりとつぶすようなことを言いました。朝ご飯を食べてから母に謝りましたが内心、またやってしまったと思いました。
私を五体満足に生んでくれて、私が十六歳で統合失調症になった後も色々面倒を見てくれた母。その母も今年で八十歳です。今も何の恩返しも出来ぬまま料理、洗濯、掃除と母の家事に甘えている私。
では私が家事をすればよいと思われるかも知れませんがそこは中々上手く生きません。言い訳になりますが掃除は自分の部屋だけ料理は土曜日の夕食だけ。となっております。
何を甘ったれたことを言うんじゃない、と言われそうですが確かに甘ったれています。しかしそんなこんなで自分を責めても心穏やかにはなりません。
母に優しく父に優しく平和に生きたいです。只優しさの裏側には厳しさも必要です。自分には厳しく。進んで家事をこなし母の心遣いには素直に有難うと言う。
統合失調症で出来ないことも多々ありますが今年は親孝行の年にしたいです。父も母も私より先に逝くかもしれません。その時後悔しないよう満足したいです。
私の苦しみが解りますか。社会に出て働くこともしない、家にいて衣食住を親に依存している。まるでいいとこなし。挙句に朝食のご飯とみそ汁を温めようとした母に文句を付ける。
母の愛、父の愛、そして私の愛。それが上手く噛み合わない。優しくしたいのに優しくできない。勿論統合失調症だからと言えば言えますがそれは言い訳に思えます。
ようく反省して人の優しさを快く受け入れる人間になりたいです。小さな親切大きな愛です。今日は親の愛について相談しました。全く不甲斐無い自分に腹が立ちます。ではよろしくお願いします。
被害妄想がひどくて道を歩いていて自転車に追い抜かれるだけでかっとします。後座禅していても妄想はなかなかとれません。因みに女性とお付き合いしたこともありません。以上です
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親思う心にまさる親心
拝読させていただきました。
私たちは親があって、私たちがこの世に生を出しました。
タイトルであります「親思う心にまさる親心」と、ありますように、私たちは親にいくら恩返しをしたところで、親が子を思う気持ちには勝ることがないといったお言葉でありますが、親孝行をしたいという思いこそが、親孝行でもあります。
また、何歳になった今でも反発してしまう心は親からもらった愛情と甘えのものであり、そこで反省を繰り返される心が親を大切に思う気持ちが高まっていく糧となり、ゆっくりでもいいのです。
親孝行とは、色々な形でできるものです。ここからが釣りキチ三平さんの試練(修行)です。
「親に心配をかけないこと」こそが、親孝行に繋がる大切な孝行であります。
心配かけないという念を軸に置かれて、日々接する心こそが、改善されていく一つの手法であるとも存じ上げます。
修行とは、苦手なことを克服していくことでもあります。
hasunohaで、告白されます勇気こそが、必ずや良い方向へと進み、すでに今、改善され邁進されていることでもあります。
合掌
質問者からのお礼
アドバイス有難うございました。親に心配をかけない。確かにこの心で親に接していくのは良いと思います。母が私のいろいろ気を使うのも息子が心配だからです。それを少しでも減らしていく。けど幾つになっても親は越えられないものなのですね。私自身結婚をしていないので親心は解らないと思いますが、子心ならば解りそうです。この先我々親子はどうなるかは解りませんが、人に優しくと言う言葉を胸に刻んで親孝行と言う修行をしたいと思います。