悪口を自分から見に行ってしまって凹んでしまう
私は趣味で絵を描いており、好きなゲームつながりでできたネット上の友人がいました。お互いに信頼していたと思います。
彼女はとても嫉妬深く、周りの絵を描く人私の友人たちを傷つけるような言動や、自分の絵の評価に伸び悩んで嘆いたり、そんなことばかりを人の目につくところでわざわざするので、私は次第にうんざりししていました。
ある時、彼女が私の好きなものに対して怒りをあらわにした言動をすることがありました。私はとても落ち込んでしまいました。
この時にもう彼女とはやっていけないと思いました。
しかし私は彼女と仲良くしていた記憶があり、楽しく話してくれていたので、出来れば今後も仲良くしたいと思っていたのは事実でした。
そんな気持ちで彼女にメッセージを送ってみました。私に不快な思いをさせてしまい申し訳ない。と謝罪はしてくれたので、タイミングだったのだろうと納得しましたが、その翌日変わらない彼女の言動を見て、自分の中で我慢の限界を超えてしまい、彼女との縁を切ることにしました。
すぐに気付いたのか、その直後に、もう色々と限界になってしまったので活動を自粛します。と宣言していました。
活動ができなくて限界になったのを私のせいにするような感じがして嫌に感じていましたが、もう縁切った相手、と思い関与しないようにしていました。
しかしつい最近、友人たちが悪口を言われている、攻撃を受けていると悩んでる姿を見かけました。もしかしてと思いましたが彼女でした。アカウントを変えても周りに攻撃をするばかりで、自分は悪くないと。
しかしその中に、私だと特定できるものがありました。
匿名で悪口を言うなんて私だろう。気持ち悪いとの言葉が。
私は自分の心の健康を守りたいがために、自衛としてこちらのことが見れないようにしていましたが、彼女にとってはそれが攻撃と思い、見えないところから攻撃していると思ったようなのです。
やっていないのに、一方的に向けられる悪意と、あの頃の好意は何だったんだろうと裏切られたような気持ちと、なにより見なくてもいいことを自分から見に行って、勝手に傷ついて腹を立てて、落ち込んで、そんな私が一番嫌です。
彼女の中で被害妄想がいまもずっと膨らみ、許さない憎む対象となっていると思うと、怖くて辛いです。
どうしたら、悪意の意見を無視できるでしょうか?本当に生きづらくて辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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善人同士の馬と鹿の喧嘩
「お前が悪い」「いや、お前の方こそ悪い」
このやりとり、裏を返せば、
「私は正しい」「いやいや、私の方こそ正しい」
善人同士は常に喧嘩が絶えず,まったく始末が悪い。
「すみません」「いや、こちらこそ申し訳ございません」
悪人同士だと、お互いに謙虚で相手に感謝や尊敬の気持ちを持っているので喧嘩になりようがない。
直接顔を見ながら話し合っても、ただでさえ善人同士は話がまとまらないのに、気に入らなければいつでもブロックするなりグループから締め出すなりして他人を排斥できるネット上なら、いよいよ互いに正義の味方のつもりにでもなって排斥し合うのは当然でしょう。
”どうしたら、悪意の意見を無視できるでしょうか?
”本当に生きづらくて辛いです”
善人なんてそんなモンです。
あなたが被害者意識や善人ヅラを手放して【悪人】になればいい。