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なにが正しいのか、なにをするべきか

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有り難し有り難し 7

 全て無意味に思えてしまいます。哲学的で少し長い話になると思いますが、よろしければ聞いていだたき説法して頂けると幸いです。

自分の生き方の指針が見えません。自分には夢も目標もありません。ただあるのはある経験から得た自分のやるべきことをやるべきだという学びだけです。しかし、私のやるべきこととはなにでしょうか。

 「善いことをしよう」と考えたこともあります。しかし、「善いこと」とはなんでしょうか。少し話がそれますが、ボランティアもしたことがあります。しかし、「これは自分が善いことをしたと思い、楽になるための自己満足」だと思いました。要は自分のためなのです。自分は浅はかだと思います。本気で誰かを救うため、例えば国境なき医師団のような紛争地で医療を行うような、勇気も能力も適正もありません。自分のような臆病で繊細で自己も確立できていないような人間が命が関わるのは誰にとっても良い結果はでないと思います。ネガティブで拗ねた考えで自分を卑下しているのではなく、実際に向いている人間にお願いするのが救われる人にとっても良いことだと思います。完全にひねくれた考えがないと言えば嘘になります。しかし、私にとって身の丈にあった「善いこと」とは何でしょうか。

そもそも、世界的に見れば資源は有限で幸せになれる人は限られています。世界がどう転ぼうが不幸せな人がでます。これは大学で経済や経営の勉強をして自分なりに本を読み、世界がそのような構造になってしまっていると考えました。
 すると、私は日本に生まれ、両親がおり、世帯収入があり、大学にいけるという世界で幸せになれる席に座っており、その席に座れなかった人からみると加害者とみることができます。すると加害者である私は「善いこと」をしたいという浅はかな自己満足に縋りたいだけの存在であり、私の存在を肯定するには運と弱肉強食の理論でないと辻褄が合わないように思います。しかし、その様な考えはまりにも救いがありません。しかし、このような哲学的な考えが頭をめぐり、何が正しく何を信じればよいか分かりません。正義も悪も人が勝手につくったものであり、全て無意味の様に思います。

私はなにを指針に、なにをすればいいのでしょうか。

 

2023年11月23日 20:05

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すべては「これでいいんだ」と納得させる心

拝読させていただきました。

釈迦は
「正しい教えを知らないで百年生きるより、正しい教えを知らないで一日生きるほうが遥かにすぐれている。」
と説きます。

賢くなろうとするのではなく、大切なことを知ること。

人は賢くなることや、善を行うことを社会は勧めます。しかし、心を無視してまで偽善を行っている人もすくなくありません。

だれかの為である利他の行為。しかし、漢字の「為」という字に"ニンベン"を付けると「偽」となります。

・偽善、、、いつわり
・為、、、、誰のために

この為と偽は見え隠れしている現代社会でもあります。それは科学が進化することで、合理化されることを優先する時代でもあることです。しかし人間は、科学が進化することで心が追いついていない時代でもあることから、本来の人道的な人間性の在り方と、現代の人間性の在り方に対し、心が上手くコントロールしきれていないことが示唆されています。
 どこまで進化しても人間は人間らしくいきる中で、他の生き物に比べると欲と煩悩を多く持ち合わせている動物が人間です。そのために人は、倫理である外的と、道徳である内的な行為を保持していかなければならないのも人の在り方を超越しない制御剤みたいなものとなります。
 文化、風習、時代によっても人の性質も知らずに変化され、心をも麻痺していることも多くあります。
 日本人は他の国より、頭に花が咲いているめでたい人間性ともいわれます。豊かすぎる日本だからこそ、欲を制御できずに自己満足のハードルが増幅しているものです。
 小欲知足を無駄とする消費社会に大きなメスを入れなければ、傲慢な日本の現代社会が進化していくものと感じてます。

 そのときの正解はあるものの、時が経てば正解は不正解にも変わることもあります。
 仏教では諸行無常であるからこそ何事にも執着しないことを説きます。
 ようは正解・不正解が柱となっているものがあれば、正解不正解の基軸を外すことが必要となってくるとも感じます。
 人は悩みながら成長する生きものでもあり、「何を指針に、なにをすれば」では、変化に対応できる心を形成していくことが指針となるのではないかと感じます。

合掌

2023年11月24日 7:28
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祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。考えすぎ、賢くなろうという気持ちが強いことに気づきました。変化に適応し、受け入れることのできる心をつくっていこうと思います。
本当にありがとうございました。

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