性格が悪い自分について
いつもお世話になっております。
自分の性格が悪くて悩んでいます。
幸せそうな人を見ると、「なんであの子ばっかり?」とイライラします。そればかりか、相手に対して「何か酷い目に合えばいいのに」とか、「(何かしら起きて)落ち込んでしまえ」とか思ってしまいます。
根性が腐っています。
どうして人は人、自分は自分だと思えないのでしょうか?だから30を超えても独身で、彼氏すらできないんだよって思います。
いつも気持ちに余裕がない。何かに焦っていて、頼れる相手もいない。お先真っ暗です。
朝起きて、なんとも言えない寂しさに駆られては、何とか自分を保ちながら生きています。
でももう限界が近いです。寂しいです。
私だって幸せになりたいし、いつだって笑っていたい。こんな自分では、もう手遅れだなって思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せになりたいと思うと不幸を感じる
幸せになりたいと思うと不幸を感じます。
右手を上げたいと思ったら右手が上がる、まばたきをしたいと思ったら瞼が開閉する。
人生を秒単位のイベントに区切って考えたら、99パーセントの願いごとは叶っているのではないのでしょうか。
と、いうことで、あまり先の未来の幸せは意識しすぎず、出たとこ勝負のアドリブを大切にしましょう。
といっても、人生を無計画で過ごせというわけではありません。
計画を立てるのは必要です。
ただ、計画を立てる作業も秒単位に区切ってみると、ほとんどの作業は順調です。
計画を立てたい、という願いごとは叶うのです。
計画どおりいかないことはありますが、その場合も、ひとまず、計画を変更したいという願いごとは叶う確率が高い。
秒単位の人生を、鼻唄混じりにリラックスして遊びながら生きましょう。
そうしていると、怒らない時間が増えます。
怒れば怒るほど怒り癖がつく。
欲張れば欲張るほど欲張り癖がつく。
怠ければ怠けるほど怠け癖がつく。
こだわればこだわるほどこだわり癖がつく。
そのような法則を逆手にとって、鼻唄混じりにリラックスして、怒らない(不満や不幸を意識しない)時間を増やせば、怒りにくい性格、穏やかな性格になれると思います。
まぁ、最悪、来世で極楽浄土に生まれられればハッピーエンドなので、
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と南無阿弥陀仏の念仏を称(とな)えて、結婚してもしなくても念仏すれば極楽浄土に必ず往生できる、と念じましょう。
追記
お礼コメントありがとうございます。
性格が悪い人だとは信じられないお気遣いは、少なくとも私の胸には響きました。
質問者からのお礼
願誉浄史様
このような身勝手な内容の投稿に、お言葉をいただきありがとうございます。
自分が思い描く幸せに近付きたい思いが強すぎるあまり、焦りが苛立ちに変わって、いつしか人を妬んだり羨んだりするようになってしまいました。
いつも側にある幸せを意識できていれば、もっと穏やかに生きていけるのかもしれないですね。簡単なようでいて、本当に難しいものです。
朝晩は特に寒さを感じる季節となりました。体調など崩されませんよう、ご自愛くださいませ。ありがとうございました。