価値ある人間になるために
毎晩眠れないこの時間に悩んでは枕を涙で濡らしてしまいます。
私のプロフィールをご覧いただければほんの少しでもご理解いただけるかもしれないのですが、昔から普通に働くことが出来れば良かったのに、こんな難治性の障害や生まれ持っての体質でなければ大勢の人の中に入り居場所を作り安心感を得ることが出来ていたのかもしれないと考えてしまいます。
また、友愛や恋愛の価値観もずれているのかそれとも幼少期からのトラウマなのか人を愛おしいとは思えても心の底から信用したり愛する事はできません。
また、一般的な恋愛も思うことがあり恐らく私には出来ないのです。わがままな話でしかないのですがそんな自分でも愛されたい、と願ってしまうのです。
自己肯定が出来なくは無いのですが非常に苦手で誰かに認めてもらい、私なんかでも価値があるのだ、ここに存在しても良いのだと必要とされているのだと認識したいと考えているのでしょう…そんな己の意地汚さに情けなくなってしまいます。
生きていて良いんだと誰かに言ってもらえなければ死ななきゃならない、そんな事はないと理解しています…
プロフィールに載せている私生活面ではありがたい事にほんの少しずつですが前に進んでいる状態です。
ですが毎晩夜が来るとこんな無価値で母親になることも出来ない自分は消えてしまいたい、でも誰かに必要とされてみたいと泣いてしまうのです。どうすればその叶わない思いを抱え涙を流すことを辞められるのでしょうか。
以前の質問でお答えいただいたお坊さまに教えていただいたお言葉「心配するな 大丈夫 何とかなる」とはいつも心の中で言い聞かせていますし、不安な時には少し不安が軽減されているような気がします。
乱文長文で要領も得ない文章だったと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。もしよろしければ、他にも不安や愛されたいと願ってしまう煩悩を軽減するようなお言葉だったり、どんなことでも構いません、お坊さま方のお知恵をお貸しいただきたいのです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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瞑想の時間
眠れないなら、眠らずに瞑想する時間にしてはどうでしょうか。
あるいは、南無阿弥陀仏と念仏する時間でもよいです。
せっかく肉体があるのだから、肉体を使ってできる仏教の修行をやってみましょう。
人間として生まれ、仏教を学ぶことができることは、素晴らしい価値なのです。
日本テーラワーダ仏教協会のホームページに、ヴィパッサナー瞑想のやり方と慈悲の瞑想のやり方が掲載されています。
ヴィパッサナー瞑想は、心身に起きるできごとを心の中で簡単な言葉で「実況中継」するやり方などがあります。
布団に入りながらでもできます。
眠れない時間に、試しにやってみませんか。
眠るために瞑想するのではなく、せっかく眠れない時間があるんだから瞑想に使えるじゃないか、という発想に切り替えましょう。
肉体というゲーム機を使って、修行というゲームをやるのです。
このゲームはどこででも、少しの時間でもできます。
このゲームをやる人には、「やることがなく退屈だ」という時間がなくなります。
カップラーメンを待つ時間にでもできますからね。