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贅沢にあまり興味がなくて欲が薄い

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私はあまり贅沢に興味がありません。理由はあまり面白さを感じないからです。

ただ、世間ではお金を使えば使うほど成長できるとか男としての器が広がる的な意見が多数を占めています。

お金を使わせるためのマーケティングなのかなと思うのですが一概に否定できないのも事実。

お酒もタバコもやめて精神状態はいいし、普段の食事も美味しい。別に高いものじゃなくても十分美味しいし、車も問題なく乗れればいいと思っています。

欲がなさすぎなんですかね。。。世間的には欲がある方が成功できるといいますが、それは確かだと思います。でもそれと幸せは別物なのかなと。

欲が強い方が幸せですか? 欲が強い方が達成感はあって楽しいと思いますが。

負け惜しみなんですかね。昔から欲しかったものがなかなか手に入らなかったから、手に入らなくても別の提案で満足するクセが身についた気がします。

これが良いのか悪いのか未だにわかりません。

お坊さんのご回答をお聞かせくださいませ。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【七宝の獄】豪華な牢屋

ふつう「牢獄」と聞けば、夏暑く冬寒い、無機質で冷たい風景を思い浮かべるでしょう。ところが、『仏説無量寿経 巻下』というお経では、金銀財宝に彩られ、食べきれないほどの豪華な料理、ふかふかの布団、完璧な空調、すてきなBGMが流れる【七宝の獄】があると教えている。

極上の贅沢、すこぶる快適そうなこの環境は、いつの時代も人間にとって喉から手が出るほど欲しいものでしょう。それなのに、この誰もが憧れる夢のような空間を仏教は「牢獄」だという。なぜかというと、所詮は鎖に繋がれ幽閉されているからだ。繋がれている鎖でさえ純金製なのかもしれないけど、でも所詮は拘束され閉じ込められているから牢獄という。

どんなに贅沢で豪華な作りだろうと、自分が牢屋にブチ込まれていたんだと知ると、人はここから出してくれという。人間の本当に願うべき姿は、結局は贅を極めるという事ではないという事がわかる。

贅沢に興味がないとは大変結構な事だと思います。
まあ、あえて自ら牢屋にぶち込まれにいく必要はないでしょう。

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有り難し
おきもち

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質問者からのお礼

転落院様

ご回答ありがとうございます。やはりそうなのですね。
昔はタワーマンションとか豪華な生活をしている人を羨ましく思っていました。でも今は思いません。それよりも人との温かみのある関係とかを築きたいと思っています。

でもそういう人間関係を築きたければまず自分から変わるべきだと思いました。

しかし面白いですね。あえて自ら牢屋に行く人のおかげで経済が回っている。そしてそういう人が憧れられる。

お坊さんの意見を勉強させていただければいただくほど、私の今歩んでいる道は間違いではないのだなと自信になります。まだまだ未熟者ですが、いつも本当にありがとうございます。

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