こんな冷たい人間をどうにかしてください
はじめて利用させていただきます
言葉足らずな所があります。
すみません
内容は
NEWSに上げられる悲報や
友達から聞かされるマイナス面な話
ドキュメント等の他人の苦労話
寿命の恋愛話、病気で移植提供の報道等々
全て同情が出来ないのです
表面は同情するのですが内心は
(だから何?悲しいねって言って欲しいの?)
(残念だねって言えば良いの?どうでも良い話だな…)って
考えの持ち主です
そう言った報道や映画見ても
(どんまい!しょうがないね!)って言葉しか思い浮かびません。
何故なら
・私自身にも手一杯で
他人なんかに優しい言葉をかける余裕が無い
・そう言った体験をしてないから変に同情出来ない
・なんで赤の他人の苦労秘話を聞いて
涙流さないといけないのか
・共感したとしてなんの足しになる?腹は膨れるのか?
・もし私が100人の前で感動話しても100人中全員が
感動するわけないでしょ?
と言う偏屈屁理屈持ちな理由です
それと反してか動物やペットの感動話には
涙もろく直ぐに同情してしまいます。
話を戻しますが
自分自身この考えは最低で自己中で
ろくでない奴だな…と深層面では思っております
でもなかなか治す事が出来ません、、
こんな考えを改める事は出来ますか?
散り散りな文章で申し訳ありません
ご教授か渇をお願いいたします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【卑下慢】を見抜く
”動物やペットの感動話には涙もろく直ぐに同情してしまいます”
うん、なるほど。
つまり、あなたに思いやりの感情が欠けているというわけではなさそうだ。あなたは決して冷淡な人間なのではなく、人が生きていくという事の厳しさをよく知っている、というのではないでしょうか?あなたは【卑下慢】という不幸自慢を見透かしてしまうことのできる醒めたる眼を持っており、単なるしょーもない泣き言やいたずらに同情を煽ろうとする欺瞞に対して注意深く距離を取ることができるんだと思います。
”自分自身この考えは最低で自己中で ろくでない奴だな…と”
どうやらこれは違うようだな(笑)
あなたは、いたずらに可哀想がったりはしない厳格な一面を持ち合わせているだけなんだ。これはね、すごいことだと思うよ。
思えなくても行動はできる
たとえば、他人の苦労を見て共感できなくても、他人を助けることはできます。
募金をするなど。
仏教では慈悲の心を重要としますが、仏様みたいな慈悲が誰にでもあるわけではないでしょう。
だからこそ、仏教徒は慈悲の心を増やすために、修行をするのです。
あと、慈悲の心は、怒りの心がない時にしか発生しません。
あなたが動物に対して慈悲を感じやすいのは、動物に対しては怒りがないからでしょう。
一方、人間相手には、慈悲が起動するより前に、怒り(反感・反発)の気持ちが起きているのかもしれません。
その場合、背景には、プライドの煩悩(競争心やコンプレックス)か、怠けの煩悩(面倒くさい)があると思います。
ちなみに
慈悲とともに仏教で大切にする心が、「喜」です。
これは、他人の幸せや成功を喜び祝う気持ちです。「喜」も、プライドと怒りが発生すると嫉妬が「喜」を邪魔する場合がありますね。
日本テーラワーダ仏教協会のホームページに、「慈悲の瞑想」という瞑想(冥想)のやり方が載っています。
スリランカ人僧侶のスマナサーラ長老が、日本語版にアレンジして下さったものらしいです。
慈悲に関する文章を唱えたり念じたりするだけの簡単な修行です。
やってみると、色んな発見があるかもしれません。
質問者からのお礼
こんな奴にありがたいお言葉ありがとうございます
誰かに自分自身の悩みを打ち明ける事が
人生内で無かった為
このようなお言葉を貰えて泣きそうになりました
また自分自身と見つめ合う事が出来ました
自分は冷酷な人間だと思っていたので
本当相談することが良かったです泣