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観音経の七難。枷鎖難、王難って?反社会的な坊さんって何?

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有り難し有り難し 12

 いつもお世話になっております。
 私は幾度か、目の前で人が逮捕されて連行される瞬間を
見たことがあります。

 「あぁ…これが枷鎖難か」と思うと同時に、
 それじゃ、警察や軍隊(我が国では自衛隊)は、仏教では
悪者扱いってことなのか?時折、「王様は悪い、怖い」
と言っているとも取れる記述があったり、
 解説書も、著者によっては君主を避難するようなことが
書いてあったり、

 実際に私が以前通っていた寺も、
 住職を初め、組織的に当時の政策を法話等々で非難していたり、
悪質なうわさに便乗し、若者世代や、神経系の内部障害の人を、
そうとは気取られぬように叩いたり…
 私自身も、嫌がらせを数え切れないほど受けました。

 ですが、私が今通っている数カ所の祈願寺は、そう言った
ことはありません。
 むしろ、境内で生活安全キャンペーンを開く等、
警察、消防からしっかり指導を受け、お寺を運営、
もっとも現実的な仕方で衆生の教化に当たっている印象です。

 私自身も、特に公安関係の方々に、自分が仏教徒であることを
告げたり、境内でお顔を合わせても、肩身の狭さを感じることは
ありません。むしろ、
「こんにちは」「いつもありがとうございます」
とお声掛けすると、非常に喜んで下さいます。

 確認になりますが、仏教は、政府や国家に歯向かう為の
教えではありませんよね?たまに、そう言うことを言っている
人を見かけると不安になります。 


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中道

この話は私も「何でだろう?」と考えてみたことがあります。
しっかりとしたソースのある話ではなく、話の流れでちょっと聴いて「なるほどなぁ」と思った程度の話ですが、観音経はシルクロードの隊商が旅路の不安を癒していたお経ではないかという話を耳にしたことがあります。そう思って読んでみると、確かにいろいろ納得できます。

たとえばロータス小隊長さんが日本を出発して韓国を通り、北朝鮮を通り、ロシアを通ってヨーロッパ各国を通ってスペインまで陸路で行くとします。名指しはしませんけど、その途中のどこかの国で、日本人の感覚では普通のことを普通にしていただけなのに、「お前スパイだろ!死刑!!」と言われたと想像してみてください。そしたら王難とか囚禁カ鎖がすんなり理解できますね。

逆に賊を恐れるのも分かりますね。隊商ですから「お前結局、体制派なの?反体制派なの?」という話にもなりません。

あと、お坊さんの話で政治や若者批判などをするのは、観音経とは関係ないと思いますよ。一般の人でもそういうことを言うのが好きな人はいますよね。特に理由はなく、そういう人がそういうことを言っているだけでしょう。

>確認になりますが、仏教は、政府や国家に歯向かう為の 教えではありませんよね?

政府や国家に歯向かうための教えではありません。仏教にも「強い国の条件とは何か?」「国王(国家)の恩を大切にしましょう」という教えもありますし、「税金が公共の利益のために使われることを喜びましょう」と取れる教えもあります。むしろお釈迦さまは王族の出身ですからね。アンチ為政者ではありません。

でも、宗教は国家権力とは一線引いたところから社会を見て、悪いことは悪いと声をあげられる立場にないといけません。お釈迦さまだってカースト制度には苦言を呈しています。それもまた宗教の役目であり、仏教は為政者の信者というわけでもありません。

アンチでもなく信者でもなく、中道です。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

【大慈 先生】
 ご回答ありがとうございます。あるお坊さまも仰っていましたが、「法華経は難信難解
の法門」とのこと……やはり、プロフェッショナルの方に聞いて正解でした!

 実際、「お前スパイやろ!死刑や死刑!」って言う国は、たくさんありますね…
それこそ、ちょっとお経を読んだだけで投獄されたりとか…
 様々な国々の人権問題について聞くたびに、変な汗が出てきます。日本国内のみの話、
ではないですよね。ちょっと偏ってたなぁ…

 そう言う国も実際にあるからこそ、また、私もプロフィールにある通りの身の上なので、
過去の不安定な時代を見てきていて、今は随分変わったと思っているがゆえ、
日本に生まれたことは有難いと思うんです。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 6
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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ