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騒音と内面性

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有り難し有り難し 6

こんにちは、以前も人生の方向について相談させていただき、あれからだいぶ定まってきました。ありがとうございます。

相変わらず鬱で休んでいるのですが、アパートの常習的に騒音を出している方と喧嘩になってしまいました。
詳細は特定されるのが怖いので省きますが、大家経由で逆ギレされてなんかこちらが一方的に悪いみたいな雰囲気になり話し合いにもなりませんでした。憤りを通り越してただただ孤独感があります。
(一方で先方の孤独感にも思いをはせ、それが反射して自分に戻ってくることでより不安に苛まれています。)

騒音自体は、ずっと耳栓をしている事でシャットアウトしています。それでも耳栓の外では騒音は発生しているわけで、とったらすぐに聞こえるという状況です。そして何かしらの敵意がこちらに向けられているということが辛い。

しかしながら、実際問題、耳栓をしていると騒音は聞こえないわけで、認知上存在しないものに惑わされるとなると、これは、ただただ内面的な問題だと自省しています。
毎朝瞑想をしているのですが、その時はスッキリと平安感があるのです。でも瞑想を解いて日常にもどったり、耳栓を強いられている自分を意識したり、外から家に帰ろうとすると、とても強い不安感があります。

マインドフルであるときは、心の安定があるけど、そうでない時は心の中の騒音の渦に巻き込まれる、というのは、今回の問題に限らずわりと日常的に課題だと思っていて、よりよく生きるために生かしていきたいと思っているのですがずっと瞑想しているわけにもいかないのでどうしたものでしょうか。心の中で発生、増幅している苦しみにとらわれないことを日常的に継続するにはどうしたらよいのでしょうか。
あるいはどうにもならない現実から瞑想に逃げているだけなのでしょうか。他人は変えられないし、これ以上問題をこじらせたくない、あとは自分の内面的な問題、と思うことで悲しさに蓋をしている気もしています。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

良い所に気が付きました。
耳栓をしているときは音は「ない」のです。「ある」と思っているのは脳なのです。
物事って実はぜんぶそうなっているんだよね。
例えば誰かから嫌な事を言われた。悔しかった。言われたのは一回だけなのに、本人はもうそこにいないのに、何回も思い出しては「悔しい」ってなる。わざわざ思い出すからそうなる。脳がそうしてる。

今はないのにあると考えるのはバカバカしいです。もうやめよう。
耳栓でもイヤーマフでも音楽プレーヤーでも良い。聞こえないようにして、思い出さないようにすればいいのです。

 尚、音が気になりすぎる病気もあるようですので、お医者さん(うつでかかっているお医者さんで良いと思います)に一度相談することもお勧めしておきます。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

光禪様
ありがとうございます。
はい、ありもしない未来やもう存在しない過去に脳がとびまわり、現在位置にもどることなくあらゆる苦悩を発生させている、そして現在起こっている事にすら、余計な意味づけをしてしまい、ありのままが見れなくなっている。そういう事だと思っています。
さらにはそれの観察主体の自分すら永続的ではなく一時的に離散集合する仮の存在、それが固定的に在るものと認識することで苦が生じている。ちゃんと観察しようね...という仏教の教えてくださっていることを、瞑想中は多少なりとも体感として感じられています。

ただ意識的にそうしてないときは、ちょっとした刺激で嫌な意味づけが発生してしまってどうしようもない。禅僧の方のような生活の中で徹底してやっていらっしゃるように出来ればいいのですがそこまで行かない、ただただ苦しい。

もともと色々なことに敏感に気づきやすいタイプなので、わりと瞑想や歩行しているときに、そういった観察モードに入りやすいのですが、気を抜いていると悪いほうにも反応しやすいので、なかなか面倒な毎日です。
お医者にも相談してますが、まあ生まれもった性質ですね...という感じですね。
お話できてよかったです。達観してみるより手間のところで凍てついている感情をお話ししたかったのかもしれません。
ありがとうございました。

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