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観音経を唱える前後の願意の唱え方

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有り難し有り難し 11

延命十句観音経について

とても丁寧なご解説をありがとうございました。よくわかりました。自然界の道理を小さな人間の念仏ごときで動かすなど不遜と言うほかないと気づかせていただきました。今後、観音経を唱えるときは、観音様に「奇跡を起こしてください」ではなく、「今度の手術がどうなろうともこれが娘に良いことになりますよう」と念じることにいたします。
実はこのたび観音経を始めましたのは、「景清」という落語に感化されたからです。
昔、平家に仕える悪七兵衛景清という武士が、源頼朝の命をつけ狙い、捕えられたときに、源氏の世を見るのは忍びないと自分の両目をくり抜き清水寺に奉納したことから、ある全盲の男が眼病によく効くと聞きつけ、十句観音経を100日唱え満願の日に観音さまが現れて、景清の目を貸し与え目が見えるようになる、というお話しです。
昔からこのような観音信仰があるのですね。わたしは藁をもつかむ心境から始めたことですが、今後は娘が全盲になったとしても前向きに生きていけるよう祈り、智慧を出してやろうと思います。

それから、観音経を唱える前後の願意の唱え方がわかりません。定型の唱和文などあればご教示くださいませ。

2019年5月7日 9:06

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏の智慧から深い願いを呼び覚まされる

ご相談拝読しました。前回に引き続き回答させていただきます。

「景清」という落語があるのですね。ご丁寧に教えていただきありがとうございます。

古来より、人々が宗教に求めるものはやはりご利益信仰なのだと思います。都合が良いものを引き寄せ、都合が悪いものを遠ざけたいというのが純粋というか、まず表面に現れてくる切実な思いでありましょう。

それは浄土真宗でも同じです。ウチのお寺は福島県会津若松からの入植者たちにより建てられたものですが、やはり開拓における厳しい環境の中での人民の心の救いや、相次いだ川の氾濫を何とかしてほしいという願いもあったようです。

しかし仏教本来が説くところはご理解いただいた通り、そのような救いではありません。けれど同時に、人々の純粋な思いもけして無碍に否定するものでもないのでしょう。

むしろそうした願いの底に、もっと深い願いがあるのではないのか?都合の良し悪しを超えて、どんな人生・境遇でも真に満足していくことを願っているのではないのか?と自分の思いだけでは気づかないところを呼び覚ましてくれるものであるのでしょう。

ですから娘さんのことについて奇跡を願うお気持ちはけして否定できません。まさに「藁をもつかむ心境」なのでしょう。

ですが結果はどうであれ、娘さんもNOBUHIKOさんも、ご自身のいのち・人生に本当に満足したいという願いに変わりはないでしょう。

そしておっしゃるとおり仏の覚りは「智慧」です。それは具体的には生きる力や勇気として湧きあがってくるのでしょう。

最後に、恐れ入りますがお尋ねの観音経を唱える前後の願意の唱え方や定型の唱和文について私はわからないので他の回答僧の回答を待ちたいと思います。
しかしそのあたりはあまり型にとらわれる必要もないように個人的には思います。

2019年5月7日 12:17
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

質問者からのお礼

ご丁寧なお返事ありがとうございました。
気持ちが落ち着き、娘の今後に寄り添っていくことを考えようと思います。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

小屋から出てきた仏像について

先日、祖父の家の物置小屋を探検していました。私が知っているのは、祖父の家は江戸時代から13代続く家です。 そのため、小屋にはなんか凄いの入ってそうだな、という木箱や竹籠が沢山あります。 色々見ていたところ、主に朱塗りのお膳セットや陶器でした。 しかし、父がふと この木の棒なんだ? と、足元の樽の上にあったものを手に取ると。 仏像でした。私は仏教は好きでお釈迦様の教えなどは好んで知ろうとするのですが、仏像に関しては分かりません。 その仏像は30センチくらいの立像で観音様でしょうか。 スラッとしていて右手は人差し指と親指をくっつけて上を向き、左手は下を向いている美しい仏像でした。 仏像の乗っている台の下には 先祖代々永享元年 と書かれており、調べてみると室町時代だとか。 もうひとつも立像で、胸の下あたりに法界定印(調べました)を組んだ お地蔵さま?お釈迦様?です。 これは、年代は不明です。10センチから15センチくらいです もうひとつは、20センチくらいの扉のついた彫り物です。3センチ程の人物が3人いて、御一方は不動明王様でした。 長くなりましたが、無造作に埃まみれの小屋において置くのも嫌だなと、見つけたのも何かのご縁かと思い、汚れを拭き取り綺麗にしました。 これらは、仏壇で一緒に手を合わせていいものでしょうか。 良ければ教えてください。曹洞宗です。

有り難し有り難し 14
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本尊とお唱えの対応関係

 こんにちは。当家の菩提寺は曹洞宗なのですが、「うちのお寺のご本尊は歴史的な経緯から阿弥陀如来なんですよ」と住職に聞きました(あまり大きくもないこともあり、それまで遠目にはわからなかったんです)。宗派の本尊と各寺院の本尊が一致してないことはよくあることですので、それ自体はへえそうなんだ。ぐらいの感想でしたが、ちょっと後で考えてしまいまして。というのも、その阿弥陀如来様の前に「南無釈迦牟尼仏とお唱えしましょう」という掲示があり、ずっとそうしてたんですけど、目の前におられるのは釈迦如来じゃありませんよね・・・?「南無阿弥陀仏」じゃないんでしょうか??みんなに目の前で「南無釈迦牟尼仏」と言われて阿弥陀如来様はどう思われることなんでしょう?両方唱えてみるべき?  実は、法要の際に住職が「南無釈迦牟尼佛・南無高祖承陽大師・南無太祖常済大師」と列挙している部分に一言「南無阿弥陀仏」と挿入していたことがあり、おお!ここで配慮してたのかと得心したんですが、逆に言えば阿弥陀如来関係はここだけです。そもそも、曹洞宗のお経は釈迦如来や観世音菩薩関係のものばかりですよね。  寺の本尊もしくは各家庭の仏壇の本尊と、お唱えやお経って、必ずしも対応してなくてもいいものなんでしょうか?多分いいんだろうけど、なんでなんでしょう?(だって、そうじゃないと薬師如来や地蔵菩薩や不動明王のお経なんか唱えたくてもまず唱えられませんよね。)如来や菩薩は相互に「私の前で誰それからこんな読経があったよ」と報告してくださってるのか、それとも上司不在時の代理決裁のように宛先が別の如来でも処理してくださるのでしょうか?このあたり、どう理解したらいいものなんでしょうか、よろしければ回答お待ちしております。

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