心の底から信頼していた人から、ものすごく酷い裏切りを受けました。
その時のショックがあまりにも大きく、それから立ち直ろうとしていますが、今は、そういうことをした相手に対する怒りがとても湧いてきてしまっています。
また、自分が、相手がそういう人物だったと気づけたことはいくつかあったのに、そのまま相手を信用し続けたこと、そういう甘い自分に対しても腹が立ちます。
怒りは良いことを一つもうみませんし、怒りをどうにか抑えたいと思い、別のことを考えたり、これでよかったんだ、と思おうとしていますが、ふとした時に、相手の行動がフラッシュバックのように訪れ、それと同時に怒りが湧いてきてしまいます。
これほど酷いことをする人には、必ずいつか因果応報で戻ってくると思いつつも、なかなか感情をコントロールできない自分がいます。。。
日にちが経つのを待つしかないのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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拝
海の中に浮かび次から次へと浮かんでいる丸太に
しがみつき渡り歩くようなもので
人生には裏切りがまっています
裏切りを裏切りと感じないためには
沈む丸太を信じない事です
この世で確かなものは無償に相手を思いやること
そして無償に思ってもらう事
信じるべきものは相手ではく
自他の区別を超えた幸せを求める事
与えている時点で何かしら代償を求めているから
そこに裏切りが待っている
相手に愛や智恵がないとしても
あなたが怒りに囚われ
愛を見失うことは無い
あなたが怒りから離れない限り
裏切りもずっとそばを離れない
裏切りはまた怒りを呼ぶ
ただ繰り返す
自分の認識の未熟さを真摯に受け止め
相手がいつか気づきを得ることを本気で願うことです
さもなくば
おっしゃるように
時間に委ねるだけですがそれではまた
沈まなそうな丸太を探すだけなのです
何も信用しなくても良いのです
忘れる努力もいらないのです
あなたの時間が愛で溢れれば
どうでも良くなるのです
合掌
ありがとうございました!