「人生は無意味」を受け入れるには
ブッダは「人生に意味は無い」と言いました
初めは否定的な気持ちでいましたが、そのことを日常生活の中で少しずつ実感するようになり、受け入れられるようになった、と言うよりは受け入れざるを得なくなった、という感じです
私はどうしても無意味=無価値と考えてしまいます
なので、無意味であることを実感すればするほど悲しくなります
「人生に意味は無い」とは、どういう意味なのでしょうか
どうすれば人生は無意味であることを心から受け入れられるようになりますか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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日々是好日
意味づけすること自体、既に意味がない。
人生、というかそもそも「生・生きる」という現象は意味があるから起きている現象なのか。
人は得てして眼前の事象や自他の言動に何らかの「意味」を持たせようとしますが、意味づけする前から「そこに・そうして・それが・そのまま・そうある・その状況」…世の中はもともと人の概念なんて必要としない事実で成り立っているのです。
この「無意味」という言葉の意味は、決して悲観的なものではなく、「思いにとらわれず原点を観ろ」というメッセージなのだと思います。
有価値にせよ無価値にせよ、全ては人の勝手な思い込みから発する偶像です。どのようにとらえるのもお互い手前勝手なのだから、そこに真理を求めても仕方がないですよね。
五感をフルに働かせて、いただいた命を燃やし続けてください。
質問者からのお礼
人はすぐ物事に何かしら意味を持たせようとする、という言葉に共感することができました
悲観的ではなく、ありのままの「意味は無い」という感覚が、理解出来た気がします
この感覚を身に付けるにはまだ時間はかかりそうですが、以前より一歩前に進むことができそうです
ありがとうございました