性的に関心を持たれると腹が立つんです。
私はある日、家族共用のパソコンでブログを書いていました。昼食をとるために少し席を外していたら父がパソコンを使っていました。
そして食後に続きを書こうと部屋へ行くと、書きかけの記事のページは閉じられ、代わりに女性が異常な格好で局部を丸出しにしている画像が沢山掲載されたページが開かれていたのです。
私は頭に血が上り、卑猥な言葉や父に対する暴言を怒鳴り散らしてしまいました。
私は二十歳頃から男に興味を持たれるこ
とにとても恐怖を覚えるようになりました。10代の頃は素敵な人ができて、二人で散歩をしたり、カラオケに行ったり、とても楽しく過ごしていました。
けれど、年頃の弟や父が頻繁にアダルトサイトを見ているのを知ってしまってから男というものが汚ならしく見えて仕方がありません。
いい人と出会って親しくなっても、アダルト用語や性的なことを連想する言葉を冗談混じりに言うようになると、一気に気持ちが覚めてしまいます。
趣味のサークルで親しくなった50代の男がいるのですが、この男と二人になってしまったとき、頭を触られたり肩に触られたりして、次第に腰にまで手を回してきたので逃げて帰ってきたこともあります。
男に「かわいい」と言われると気味が悪いです。男に「オンナ」として見られると悔しくなります。
男たちは毎晩のようにアダルトものを観て、その内容はいつも女性の尊厳や人権が踏みにじられるものばかりです。まるで女は男に弄ばれて悦ぶと言わんばかりです。
そして可愛かった弟も二十歳まで育ててくれた父も、同様に女をおもちゃにすることに悦びを感じているんです。
あの人もこの人もみんな女を弄んで汚して支配したがっているのかと思うと腸が煮えくり返ります。
オスメスではない付き合いをしたいのに、男たちはみんな毎日発情期。男とは友情は築けないんですね。男が親しくするとき、それは性欲ありきなんですね。男にはうんざりです。
女が我慢するしかないのでしょうか。
女の性欲は恥や悪なのに男の性欲は健全な証拠というのも納得がいきません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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嫌なものは見たくありませんよね。
お父さんも弟さんも、かなりオープンな方ですね。興味があるとは言え、性的なことに関しては個人的なものとして、家族とは申せど控えめにしておくというのがモラルかと思います。
いきなり、嫌なものを見せられたら誰だって嫌悪感を抱きます。又、嫌なものは個々に違います。虫が嫌いな人は、画面いっぱいにあれば嫌です。暴力が嫌いな人や、悲惨な現場や状況を見るのが嫌な人は見たくありません。自分にとって嫌なものを拒否するのは当然のことです。
性的なことに関しては、人間の本能として備わっているもので、子孫を残すための大切な仕組みです。ただ、本能のままでいくと、人としての人格を疑われます。ゆえに、矛盾していますが、必要な機能でもあります。これは頭では分かっているのですが、頭(理性)で制御できなくなると、本能のままに肉体的に行動に移してしまうのも事実です。
どこまで制御できるのかは、とても難しいことで、それは教養、しつけ、社会的人格の形成が影響してきます。ゆえに、どんなに説明しても受け付けない方や、アルコールが入ると制御が難しいのです。
ただ、「オンナ」として見られるのは悔しい。というのは、では、どのように見ればいいのか。とも思います。
すべての男性が、女性を軽視している訳ではありません。お互いがお互いを尊敬し認めあう。それぞれの立場を尊重し、そして、精神面においても整った時は、それが男であり、女であるという肉体的な機能を果たす。そのような関係で多くの人たちは社会を作っているはずだと思います。
男性の性欲は健全である。ならば女性の性欲も健全であると言えます。
男性も女性も同等であるならば、今生、女性と生まれられたのですから、大いに女性として、人生を楽しまれたらいかがでしょうか。