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性とはいつから汚れたものになったのですか回答受付中

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有り難し有り難し 1

僧侶の皆様こんにちは。いつもご回答ありがとうございます。暑いですがお元気にお過ごしでしょうか?

今回は、セクシャルな話になります。ご了承下さい。

昨日、車で近くのお店に行き、停車させました。
運転席から降りる時にふと右隣を見ると、男が運転席に乗っていて、下半身を露出させていました。目が合いましたが、男は慌てることなく間抜けな顔をしていました。

私はすぐに店内に駆け込み、店員さんに110番通報して貰いました。その間私は店員さんしか入れない部屋に避難していました。

10分ぐらいして警察が来て色々訊かれ、他のお巡りさんは駐車場で、犯人を捜査しました。

犯人の男が警察官に質問され、六人ぐらいの警察官がその男を確保しました。その男は頭が弱いのか、私に目撃されたと気付いてもボーッと車内にいたようでした。

結局男が始末書を書き、私が激怒して謝罪させる形で終わりました。
性にまつわること…どうしてこんな悲しいことが起きるのでしょうか。

性とはもっと素晴らしいものではないですか?生、誕生を意味するものだと思います。どうしてこんな汚らわしいものと化すのでしょうか。

私はもの作りを趣味としており、裸体を創作しております。詳しくは書けませんがそれをアップしたところ、早い話猥褻と言われて削除されました。

女性の裸体ほど美しいものはないと思います。それをいやらしいと言う人の方が余程いやらしく、感性が歪んでいると思います。私は下手なりに美を表現したかったのです。

最近ある動画で見たのですが、彫刻家の先生が一生懸命造り、街中に置かれた裸体の彫刻が撤去されたそうです。悲しいと仰っていました。撤去された理由が「猥褻だから」。馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。
※私の作品も、それらの彫刻に近いです。

私が今回遭ったことのように生身の人間が人を傷つけるものは猥褻ですが、芸術作品はそうではないと思います。

私の作品が否定され…
男は一応は悪気はなかったようなので始末書…まぁ、見せつけられたと言うよりは私が目撃した形なのでいいですが…

性って何ですか?
何が何だか分からなくなって来ました。
僧侶の皆様、性とは何か、どう思われますか?教えて下さい。

2025年9月15日 14:14

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

性とは人間本来の営み

ひどい目に遭われましたね。
性犯罪に関わるニュースは毎日のように新聞やテレビで報じられていますが、ほとんどの人たちは自分とは関係ないものと捉えているのではないでしょうか。
身近でそんなことが起きれば、衝撃を受けられるのも当然かと思われます。
ただ、その事件だけをもとに「性とは汚らわしいもの」と考えるのは尚早な気もします(それでも、あなたのお気持ちはよくわかります)。
芸術と猥褻の線引きは大変難しいです。
最近数十年をみただけでも、事態をめぐる状況はずいぶん変わっています。
私は、その作品を見て一定程度不快感を感じる人がいれば、それはやはり問題であると思います(ただし、それも個人差があるので難しいのですが)。
性とは人間本来の営みです。
だからこそ、自分自身と他者の人間としての価値を認め、尊厳を持って接するべきでしょう。
いたずらに過大評価するのも、過小評価するのも間違っていると思われます。
(仏教とはあまり関係のない話になりました)

2025年9月15日 23:01
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有り難し
おきもち

社会人生活を長年送った後、曹洞宗の僧侶となりました。仏教の教えの一つ一つが、かつての私自身の場合がそうだったように、相談者の皆さんの生き辛さの解消につながるものと信じています。愛知県内にご住職のいないお寺がありましたら、ぜひご紹介ください。

結果は因のみでなく、縁にも左右されます

ご相談を拝読しました。
 「性はいつから汚れたものになったのですか」という問いには、とても切実な響きがあります。強い怒りや失望から発せられた問いは、どうしても心の目を曇らせてしまいます。その曇りがあなたに訪れていないか。私はそのことを心配しています。
 あなたが感じている「性」は、ご自身の体や裸体と深く結びついているのではないでしょうか。確かに性は生と結びつき、それだけ大切な事であるがゆえ、自身の性や身体について、多くの人が苦しみを抱えています。
 けれど仏教でいう「性(しょう)」は、それに限りません。体を通してあらわれる欲望も「性」ですが、同じ体を通して慈しみや創造性、智慧が働くのも「性」です。性とは「人間のあり方全体」であり、身体のみを指す言葉ではないのです。
 あなたの質問を考えるにあたり、大切なのは「因」と「縁」の見方です。作品や行動は「因」であり、それが置かれる「縁」(環境や状況、人間関係)によって意味は変わります。
 女性の裸体を美しいと感じること、それ自体は自然な営みの一つです。ただし「美」は一つの型に固定されるものではなく、若さや老い、男性や女性といった違いの中にもそれぞれの美が宿るのではないでしょうか。そして美は多様であると同時に、その評価も縁によって変わります。美術館で見れば芸術とされ、匿名の場に出せば猥褻とされることもある。同じ作品でも、場所や受け手、文化の規範という縁によって意味合いは大きく変わるのです。

ですから、今回の事例を同列に並べて「性とは」を断ずることはできません。

 あなたが「性」や「美」を表現したいと願うなら、人間にそなわる多様な性を掬い上げてほしいと思います。怒りや嫌悪も性ですが、同じように慈しみや願いも性です。両面を映した表現こそ、人の心に深く届くものになるのではないでしょうか。
 ここで改めて、今回のショックの本質に目を向けましょう。「自分は美として見ているのに、他者からは汚れと決めつけられた」という食い違いが大きいのではないでしょうか。その苦しみを抱えている自分にまず気づいてあげてください。そして、美を見ようとするあなたのまなざしは決して無駄ではありません。ただ、受け取る縁によって意味が変わることを静かに見つめられたとき、孤独の中でも心は少し軽くなり、次の表現へと向かう力になります。

2025年9月16日 0:29
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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