「できること」の基準はどこ?
私が昔からいろんなところで目にする言葉に「仕事はやりたいことよりできることをしろ」というものがあります。ここでいう「できること」とはなんでしょうか。
将来は結局人からの評価で全てが決まります。自分はできていると思っていても周りがそう思わなければできていないと評価される。だから「平均的よりも上手にこなせること」だと思いましたが、私にはそんなものありません。そりゃそうだ。引きこもって学校も行かずに習い事も部活も全く経験していない。ただ部屋にこもり昼夜逆転させながらだらだらゲームをしていただけです。多くの人が経験しているであろうことをできていない私には経験値が少なすぎます。見つけるにしてももう手遅れです。
ある時、カウンセラーに「できることないんだけどどうやって生きればいいのか」と相談した際に「あなたは今こうして生きることができている」という旨を長々とまるで世間が生きることができていないかのように、生きることが特殊能力であるかのように話されましたが、しっくりきませんでした。ただこうして暗い気持ちで生きているだけで仕事もこなせるような世の中なら誰も苦労しないと思います。
社会に出れば人より少しミスが多いと「なんであんたはこんなこともできないの」と罵倒される、「やくたたずだ」と言われクビにされるような話も聞いていたこともあり、すごく怖いです。私がこのまま社会に出ても迷惑なだけじゃないか、存在するだけ邪魔じゃないか、と。
私はどうすればいいのですか。どうすればよかったのですか。生き方を間違えましたか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝見させて頂きました。
「仕事はやりたいことよりできることをしろ」
私が思うにこれは逆です。
「仕事はできることより本当にやりたい事をしろ」
だと思います。
できるというのはあなたの言うようにあいまいです。
自分が出来ていると思っていても出来ていなかったり、その逆もあります。
また、今まで出来なかった事が出来るようにもなる事もあるし、その逆に今まで出来ていた事が出来なくなる事もあります。
なので「仕事は好きな事を仕事にしろ!」もっというと「今している仕事に惚れろ!」が一番です。
では今度は自分が何の仕事が好きか分からないという事になるかも知れません。
それはぽたさんにしか分かりません。
ご自身の事を深く考えて下さい。何に喜び、何に傷つき、何を大事にして、何に怒るのか。
10代で自分の方向性が分かる人間はなかなかいません。
ですが大事な事です。常に問いかけて下さい。
ゲームが好きならゲーム関連のお仕事もあると思いますし、絵が好きならデザインの関連のお仕事もあります。
今、出来る、出来ないは二の次だと思いますよ。まず自分の好きを探して下さい。
最後に
私はどうすればいいのですか。どうすればよかったのですか
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過去は変えられません。これからどうすればいいのか考えてみてはどうでしょうか?
生き方を間違えましたか?
>
生き方を間違えない人はいません、多かれ少なかれ人は間違えます。他人と比べるものではないと私は思います。
失敗は早く沢山した方が自分の好きな事が見えてきますよ。