十王や地獄の事についての御質問
十王の事についての御質問
御坊様方、御無沙汰しております。
kanaでございます。
実はまた御質問したいことがありまして、御連絡させて頂きました。
さて、御質問の内容というのは”十王(閻魔大王を含めた人間が生前犯した罪に関して裁きを決定すると言われている十人の王(裁判官)”の事です。
実は最近その十王の事や地獄の事について少しばかり勉強をしているのですが、
殺生などが罪である事は理解しているのですが、
それが止むを得ない状況(正当防衛, 無差別に人を傷つける人から凶器を取り上げようとしてもみ合っている内に取り上げようとした側が刺してしまうという状況(サスペンスドラマのような展開)であった場合、十王はどのような罪の裁き方や判断をするのでしょうか?
このような疑問を持ったのは地獄の内容(特に十六小地獄の説明に関する内容)が現代の状況や価値観とは相容れない内容も多いと感じた事で、罪の裁き方も現代に合わせているのかどうかが個人的に気になってしまった為、御坊様方の個人的な意見をお聞きしたいと考え、御連絡させて頂きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
中陰について
kanaさま
「十王」につきましては、十王経類の経典に記されてあることですが、元は中国撰述の偽経の疑いが強くあります。
それがゆえに、世俗的な価値観や倫理観、あるいは、作者による恣意的な思想も加わってしまっている可能性が高いものとなります。
しかし、中陰期間におけることは、インド、中国、日本、チベットなど、世界でもある一定の共通項があり、あながち全否定できるものでもありません。
もちろん、中には本当に中陰(中有)から戻って生き返った者、前世の輪廻(人道や地獄道等)の記憶がある者によっての記憶の呼び起こしによる記録があってもおかしくないため、それも無視できないところであります。
いずれにせよ、中陰からの次の行き先は、自分の業(カルマ)によるところであるのは確かとなります。
裁判官によって裁かれるというのは、ある種の戒め的な効果を狙ってのところがあるのでしょうが、結局は、自分の業が自分を裁くことになるのであります。
その業を清らかに調えていくための教えが仏教となります。
しっかりと善業に努めて参りたいものでございます。
川口英俊 合掌