DVの加害者に仏の救いはありますか?
今となっては、昔の話ですが、わたしは幼少のころから結婚する前まで、実家で兄弟からDV(暴力)を受けて育ってきました。頭を殴られたり、髪をひっぱられたりし、わたしが泣くと、わたしが悪いからだと言われました。兄は今でもほとんど変わっていません。因果応報といえば、簡単な話ですが、兄は周りの人の気持ちや状況など考えずに行動するところがあるので社会不適応で仕事も働いたり辞めたりを繰り返しています。失業するたびに話を聞いてほしそうにしてきますが、ちょっとでも自分の思った通りの回答でないことを言われると殴りかかってきます。現在は障害のある高齢の母だけなので、困ったときはわたしや弟を当てにするようにしてきました(困ります)。こういうひとは、自分で気が付いて直さない限り周りが何を言っても駄目ですよね。わたしは兄から電話がかかってくるだけで身震いがして電話もろくに取れませんし、顔を見ると逃げ出してしまいます。これは仕方ないですよね。
嫁姑問題!!
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【月影のいたらぬ里はなけれども】法然
”DVの加害者に仏の救いはありますか?”
結論からいえば、<YES>です。しかし、その人が必ずハッピーエンドになるかと問われれば、どこにもそんな保証はありません。
【月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ】
浄土宗の法然さんは、このように詠まれました。仏様のお慈悲は、いつでもどこにでもだれにでも平等に向けられています。しかし、月の光はお兄さんがそれを見ようとしなければ、明るさを知ることができないのと同じで、仏様から差し伸べられている手を掴もうとしなければ、やっぱり救われてはいかないでしょうね。
兄による幼き頃からの仕打ちに耐え忍んできたあなたのご苦労、心よりお察し申し上げます。しかしながら、同時に、今日に至るまでそんな方法しか身につけられなかったお兄さんにも深く同情します。
仏様は、誰もが被害者と加害者をはるかに超えたところで、みんなが出遇い直していく事を願っておられます。
「人間」という概念に実体はない
仏教では、私たちが頭で考えた概念は、夢や幻みたいに実体がない、空(くう)であると言います。
「人間」という概念は空であり、実体がないのです。
何が言いたいかというと、あなたのお兄さんは世間的には「人間」だけど、理性のレベルは動物だと思った方が正解かもしれません。
幼い頃から自宅にライオンがいたら、同居人は無事ではすまないのです。
だとしても、愚かで危ないライオンの罪をどう評価するかは難しいですよね。
ライオンはあなたの気持ちを理解できず、暴れたいときに暴れます。
それは、ライオンの理性、理解能力が低いからなのです。
一緒に住まねばならなかったのは不幸ですが、仏様は、そんな迷惑なライオンを慈しみます。
お兄さんは、脳の問題で、生まれつき理性の能力が低いだけなのかもしれません。
脳の病気を治療したらサイコパスが直った、なんて例もあるらしいです。
お兄さんを施設に預かってもらうなど、一緒に住まなくてよい状態にできれば良かったのですが、時代が追いついていなかったのかもしれませんね。
追記
虐待については、まずは公的機関に通告することが大事です。
法律があるので、警察や児童相談所が介入し、被害者を保護することも可能です。
加害者から被害者を離せば、加害者が加害者になるチャンスを奪えるかもしれませんね。
質問者からのお礼
転落院様>被害者と加害者をはるかに超えたところで、出会いなおせたらいいですね。わたしの気持ちを分かってくださってありがとうございます。それだけでも救われました。
願誉浄史様>そうなんです! もうひとりの被害者である弟は、兄のことを暴力的な小学生と言っていましたが、中身は猛獣なのかもしれません。先日、児童に関する法律が変わって、夕食抜きとかほほをたたくとかも虐待になる可能性がある? という記事が新聞に載っていましたが、法律を変えたところで虐待はなくならないとわたしは思っています。なぜなら、虐待の加害者は自分のことを被害者だと思っているからです。相手の痛みなど加害者にとってはどうだっていいのです。自分さえよければ。法律うんぬんより、相手の身になって考えてみるという基本的な思いいやりについてきちんと学ぶきっかけがどこかにあったら兄の人生は違ったものになっていことでしょう。そして、加害者に対する福祉が現在ほとんどなっていないのが現状なのです。
転落院様、
プロフィールのところを拝見しましたところ、虐待を受けて育った子供たちをひきとって養育しておられるとのこと。生半可な気持ちではとてもできないことをやっておられる方と知り、頭が上がりません。名古屋市でも、そういう施設があると聞きましたが、被虐待時同士の暴力で、頭を強く打ち脳出血をしたというドキュメントも観ました。複雑な気持ちになりました。わたしは被虐待児でしたが、今は、かわいい小学生の母をやっています。自分の子供を虐待したことはありません。本当に自分の子供はかわいいです。虐待されて育った大人は育児ができない、子を虐待すると世間では思われているようですが、必ずしもそうとは限りません。ただ、結婚する前は、自傷行動で血を見たり、薬を大量に飲んだり、解離性障害で記憶がとびとびにはなっていました。しかしそれも、結婚したらおさまりました。虐待を受けないことがいいことには変わりありませんが、受けたからといってその後の人生が必ずしもダメになるわけではないことを、みなさんにお知らせしたいと思っております。