認知症になった母について
母は、若いころから父より暴力と経済的虐待を受け、姑からも虐められ、ノイローゼのようになっていました。父が若くして突然死してから、父の残したお金を手に入れ、子供が相続するべきだったお金まで自分のものにし、子どもの名義の土地にアパートを次々と建て、収入を自分のものにしてきました。アパートローンも払ってくれる前提でやっているので、わたしたち子供は理不尽に感じながらも父に虐げられた影響で強硬な性格になった母に逆らえず、何も言えずに過ごしてきました。
今から10年近くくらい前から、母は精神病になり、自分のアパートに住む生活保護のおじいさんのことを、「あの人は医者なんだよ」とほめちぎり、ぞっこんになりました。本当はその人は、もともと日雇いだった生活保護者でした。そのじいさんからお金を無心されるようになり、断ると、首を絞められたり家を壊されたりするようになりました。最後には止めに入る弟に爺さんが刃物で向かっていき警察沙汰になり、家の外壁を壊され、警察に捕まり、刑事裁判までやり、母に今後一切近寄らないこと、アパートは出ていくことを約束させられ、やっと縁が切れたころ、苦労しまくった母が認知症にかかりました。
兄は父の影響か、わたしや弟に物心ついたころから暴力を振るいまくっていました。わたしは、この家族にやられっぱなしで、正直、正月に帰ることすら苦痛なのに、小さい子供の育児中で時間が取れるだろうということで、母の通院やらデイサービスへの連携やら母の成年後見人の手続きやらをやってきました。そんな母は、いまとなっては、わたしのことを敵とみなし、わたしが全財産をとったと周りに吹聴して回っています。(実際は弁護士が管理しています)。
お金にばかり執着する母は、認知症になる以前に、何かの餓鬼になったのでしょうか? 母のことを見ていると、苦労しきてかわいそうという思いと、父や姑のせいで変わり果ててしまった心の在り方とか、ものすごく痛々しい思いがします。母は何かに取りつかれてしまったのでしょうか?
嫁姑問題!!
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思いえがくとその通りの人生に・・
初めまして、こんにちは。
お悩みを拝見させて頂きました。難儀されて来られた事だったと思います。よく耐え偲んできましたね・・。家族で認知症になった祖母を介護し私も遠距離介護の経験があります。
餓鬼(がき)の心は誰にでもあります。人ほど、執着や、煩悩、我に捕らわれ、時には占拠され大切な人生をも狂わせてしまいます。
餓鬼・・異様に痩せ、お腹だけが膨れ何でも欲しがりそれはどんなに手に入っても収まりません。
あるとき、餓鬼たちは豪華なお料理が並ぶテーブルを目にします。とても長いおはしがあり・・食べよう!とします。一向に食べらせません・・
お隣の部屋も同じ光景。豪華なお料理。異様に長いおはしも一緒。いただきます!長いお箸で向かいの人に食べさせてあげるのです。お互いが食べさあいおなか一杯!と言う餓鬼のお話があります。
煩悩や、我を消し去ることはお釈迦様以外の私たちにはできなくって当たり前です。いかにその煩悩や我に捕らわれずに過ごすことは出来ます。誰かと自分を比べたり比較を続けるかりぎ、その先に仕合せはこないと思います。
起きてもいないことに常に気にして不安の中で過ごすよりも、不安を受け流して世の中の物事は常に善い事、悪い事も全て移り変わります。どんなに憎くても、父や母が居たから今の私たちがここに存在します。勝手に生まれてきたのではないのです。言葉を変えれば思考が変わり、思考を変えれば行動も変わります、そして運命も変わる・・とマザーテレサさまの言葉にある通り、人はいくらでも運命は変えられます。宿命、生まれた日にちなどは変えられなくとも、運命は変えられるのです。だめだ・・と思っていればその通りになり、善い事を想えば・・その通りになるもんです。様々な出来事をご経験されたように、仕合せそうに見える方も何かしらの悩みを抱えていきています。いつか、その経験も・・活かされることがあるかもしれません。
お母さまも難儀多き人生を歩まれ、これからは穏やかに過ごされるためにも思考を変えせっかくの人生。そして出会えた家族と笑って暮らせる転換を心がけてみませんか?きっとお母さまもそれを望んでいることと思います。
濃い霧がいつかは消え去り、視界が良好になるように必ず晴れます。
あなたの人生があなたらしく、仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
おひさしぶりでございます。この質問を書いてから、何年たったことでしょう。お互いに長いお箸で食べさせあい、仕合せに暮らすのは、やっぱりわたしには難しかった。どうしても、ゆるす、ゆるさないという問題にしかならなかった。でも、変わり果てた母も、アルツハイマーがもっともっと進んでいき、とうとう、自分では自分のことができなくなってしまい、いま、認知症病棟に入院しています。入院するしかないことは本人もわかっているようで、涙を流しています。あんなに我を張って、よその子より自分の子が優れていないと気が済まなかったり、よその子より劣っていると、暴力まで振るってきた母が、ほんとうに小さなおばあさんになってしまいました。あまりにもの変わりように、もう、あんまり、憎んだりすることもできなくなってきました。和尚さんの書かれたお話は、ちょっとわたしには格式が高すぎるように感じましたし、わたしがそんな風になれるとも思えませんでしたが、ちょっとづつちょっとづつ私の心の中に変化がありました。この変化が今後どうなるのかちょっと気になります。決して母を許しているわけではありませんがいろいろ思うことがでてきました。