遠方で暮らす認知症の父の対応がつらい回答受付中
父が認知症になり、入院しました。
父は、若い頃は自分の事業を行い、羽振りのいい時もありましたが、最後は逃げ出すように家族には何も言わず自分の田舎に帰ってしまい、母や兄がその後始末をして苦労していました。
田舎では自分の両親の介護をするために帰ったと話し、良い息子としてそれなりに人間関係を築いていたようです。
その後、母や兄が相次いで亡くなり、私は父に対する良い感情は持てないままです。時折思い出したように電話が来たり、病気で入院する際には仕方なく連絡先になる程度の付き合いをしてきました。昨年あたりから、電話での暴言や妄言がみられるようになり、先月から認知症で周囲に迷惑をかけてしまったため入院することになりました。残された家族として私宛に病院からの電話がくるのが苦痛です。
年老いた父の対応をしてくださる人たちに、最低限の礼儀として連絡に応じ、遠方なので対応できない旨を伝え、必要に応じて家族としての書類などの対応をしていますが、正直、とても苦痛です。
医療関係の方たちは父の田舎である県に住む人たちで、当然こちらの事情も知らないので、被害妄想かもしれませんが「田舎の父を捨てて都会で過ごす娘」のような対応をされているように感じます。担当の方が変わるたびに自分はそちらには住んだことがない旨、伝えていますが、それでも苦痛です。
父の時間はもうさほど長くないと思っています。だから事を荒立てずに済ませたいと思いつつ、今日、骨折したという連絡をうけ、心配よりも先にしんどさとイライラが募り、こどもたちをきつく叱ってしまい、自己嫌悪に陥っています。
自分が大切にするべきなのは今いる自分の子どもや夫で、自分を犠牲にしてはいけない、自分がつぶれてはいけないと言い聞かせています。それでも、時々嫌になります。もう何も考えずに何もかも捨ててただ「父の娘」としてお役を務めればいいのかと思うことがあります。
私は、今の選択(自分と子どもたちを大切にして、父の周りの人には礼儀を果たす)が間違っていないと思っているのですが、実は間違っているのでしょうか。だから、こんなに辛いと感じているのでしょうか。
それでもしんどいと思ったとき、どうすれば心を強く保てるでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「成年後見制度」も考えてみて。自身の生活を大切にしていいのよ
それは、大変ですよね。お父さんのことが、そこまで心配になれないのも、あなた方 家族(母や兄)がお父さんに振り回されてきたからですよね。家族に押し付けて勝手に田舎に逃げたくせに、高齢になったからといって、助けてくれとは、都合が良過ぎるんじゃないかと思ってしまうからですよね。
田舎の方々にまで、自分(お父さん)がやってきたことを言っていないでしょうから、ただ親に冷たい娘と可哀想な父というイメージを持たれているかもしれない… それがまた理不尽で悔しいですよね。
なぜ、自分勝手に好きに生きてきた人の面倒を見なきゃならないんだと思いますよね。お父さんが、このような関係を自分で作ってきたのにと、非情な娘だと思われても、お父さんへの情が湧かないのですよね。
あなたの気持ち、わかってあげたいわ。
一つの方法として、「成年後見制度」を利用するのも考えてみてください。認知症などで判断などが不十分になった人の代わりに、財産管理や契約、福祉サービス利用の手続きなどをサポートしてくれるものです。全てを任せていけます。親族だけでなく、弁護士や司法書士などの専門家を選任すれば良いと思いますよ。本人(お父さん)の財産管理や身上監護に関する決定権は成年後見人が持つことになります。今のあなたには、そのほうが精神的にも相続も安心ではありませんか。実際に遠方なら動けないですしね。
市区町村の相談窓口や地域包括支援センター、社会福祉協議会などで相談できますから、考えてみませんか。
お父さんのことですが、あなたの精神的な面や、ご家族のこれからの生活にも関わってくることですからね。一度考えてみられるのも良いと思いますよ。
どうぞ、穏やかに、ご自身の生活を大切になさってくださいね。
父の認知症と距離の取り方に揺れる心
1. あなたの選択は間違っていない
「自分と子どもを大切にし、父の周囲には礼儀を果たす」――これは仏教でいう「中道」に近い選択です。父への過去のわだかまりや苦しさを無理に消し去る必要はありません。かといって、縁を完全に切るのではなく、最低限の対応を続けている。その姿勢は、十分に誠実で間違いではありません。つらいのは、選択が間違っているからではなく、正しい選択であっても「心が痛む」のが人間だからです。
2. 周囲の視線について
病院や地域の人々から「父を捨てた娘」と見られているように感じるのも自然なことです。ただし、それは事実ではなく「解釈」にすぎません。仏教には「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」という言葉があります。世界は心の見方で形を変える、という意味です。見方を少し変えれば、「父を放り出した娘」ではなく、「遠方からできる限り礼を尽くす娘」として自分を評価することもできます。
3. 心を強く保つ方法
境界線を意識する
「父の人生」と「自分の人生」を明確に分ける。父の行為や言葉は父の因縁であり、あなたが背負うものではありません。
小さなリセット
電話や連絡で疲れを感じたら、数分でも子どもと遊ぶ・お茶を飲む・深呼吸するなど「今に戻る」習慣を持つ。
言葉を持つ
「私は私の家族を大切にしている。それでいい」と心で繰り返す“お守り言葉”を持つことで、迷いに飲まれにくくなります。
4. 「父の娘」としての役割
「何も考えず父の娘としての役を務めればいいのか」と迷われていますが、それはご自身の心をすり減らす危険もあります。大切なのは、役を務めることよりも「自分と家族が壊れない範囲で務める」ことです。仏教では「自利利他(じりりた)」といい、自分を大切にすることが他者を大切にする基盤だと説きます。
まとめ
あなたの選択は間違っていません。だからこそ「正しいのにしんどい」と感じるのです。しんどさは自然な感情であり、誠実に対応している証拠でもあります。父への対応を最小限にとどめつつ、今そばにいるお子さんやご家族との時間に意識を戻すこと。それが、心を強く保つ最も確かな道です。
合掌