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老い・介護・看病・病気
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認知症の祖母の介護でイライラ。諸行無常を受け流す考え方

人は誰でも歳をとり身体も変化していきます。それは自分だけでなくまわりも同じ。家族が老いたり病気になったりするのも変化の一つです。支える側は、元気だった家族の姿を覚えているからこそ、徐々に老いて行き出来ないことが増えて行くことに戸惑いを隠せません。

今回は、認知症の祖母を支えるご家族のお話です。支える側の心が少しでも楽になるヒントをお坊さん方に教えてもらいましょう。

祖母の認知症がつらいです

祖母が認知症になりました。そんな祖母の行動にすごくイライラしてしまいます。しまいには、ふとした瞬間に祖母の死について考えてしまうまでになってしまいました。たまにいつもの祖母に戻ってくれます。その時に「怖いねえ、怖いねえ、寂しい」と言っているのを聞くと、言いようのない罪悪感に苛まれます。

こちらは、10代のいなかもんさんから寄せられたご相談です。

元気だったお祖母さまが認知症で別人のように変わってしまうのはとても辛いことです。何度も名前を呼ばれたり、同じ話を繰り返されたりするとイライラが止まらなくなると言います。そして、お祖母さまの死について思いを巡らせてしまうことに罪の意識を感じていらっしゃいます。このような場合どのような心で接して行けばよいのでしょうか。

変化していく今をしっかりと観察する

今ここにある現象も今ここにある現実も時々刻々変化していきます。それを諸行無常と言います。(中略)1つの物事を成し遂げたとしても、それは永遠のものではなく変化していきます。諸行無常の道理を知って、人は今という時の大切さを知ります。そして、今まで過ごしてきた時間も実に尊いものであったことに気付きます。

(洞林寺 吉田俊英)

こちらのお坊さんは、人を含めすべてのものは必ず変化をして行くのだとおっしゃっています。諸行無常の教えですね。

人は生まれたら必ず死に向かって行きます。それは、どんな人も命は永遠ではなく、儚いものだということ。お祖母さまの変化はわたしたちに「人が元気でいられる時間には限りがある」ことを教えてくださいました。そして、今この時、この姿もまた、永遠に続かないのです。支える側は、お祖母さまの変化を受け入れて最後まで見守り寄り添ってあげましょうとお坊さんは優しくおっしゃってくださいました。

別のお坊さんのお話も聞いてみましょう。

受けて流す力をつける

認知症との付き合いで一番大切なのは、言葉や行動に対して、そのまま受けないということです。そのまま受けるとイライラしてしまいます。当然です。理性で動いているわけではないので、行動の意味を伴っていないからです。

(金剛座寺 染川智勇)

こちらのお坊さんは、お祖母さまの言動1つ1つに反応をせずに受け流しましょうとおっしゃっています。お祖母さまの声にしっかりと向き合おうとする優しい心を持ついなかもんさん。だからこそ、イライラしてしまうし、自分がとってしまう態度に傷ついてしまうのですね。お坊さんがおっしゃるように受け流す力というのは、自分の心を守る1つの方法なのかもしれません。そして、受け流す力は社会の中で嫌なことがあっても強く生きて行くために役立つ教えでもあります。

認知症について理解を深める時間    

全国の自治体で認知症の人々を地域で見守る存在「認知症サポーター」を養成する講習を開いています。認知症サポーターになると、オレンジリング(腕輪)がもらえます。(中略)認知症について理解が深まれば、怒りはマシになるかもしれません。

(浄土宗教師 願誉浄史)

こちらのお坊さんは、認知症高齢者の介護期間は、限られているからこそ認知症について学ぶチャンスだとおっしゃいます。そして、人間は「できることしかできないのだ」と知って、急かしたり、焦らしたりせずに見守ることの大切さを教えてくださいました。

いなかもんさんからの言葉

今はまだ老いも諸行無常も受けとめることができませんが、そういう考え方があることを知り、少し気持ちが楽になれた気がします。

認知症の家族を持つ辛さや苦労は、支えている家族にしか分かりません。「見守る」というのは決して簡単なものではなく、むしろ報われないことが多いため家族の精神的や肉体的な負担はとても大きいはずです。お坊さん方が教えてくださったように、世の中はすべて諸行無常だと知り、受け流す力を身につけて行くことがわたしたちの心を守る手段となりそうです。

そして、わたしたちもいつかは必ず老いて行くことを忘れてはなりません。今回のお話は、限られているこの人生をどのように生きて行くのか考えるきっかけも与えてくださいました。

ありがとうございました。

元の問答:祖母の認知症がつらい

文・hasunoha編集部
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「介護・認知症」問答一覧

実家に戻ってきて良かったのか

閲覧ありがとうございます。 前のアカウントがログインできなくなってしまったため新しい名前にて失礼いたします。 先月過労からうつ病と診断され休職し、主治医と相談した結果、実家に戻ってきました。 しかし久々に会った父と祖母の老いが著しく、ボケも少々見られ、それが自分的にショックでなりません。(母は既に亡くなり、父は65歳、祖母は87歳です) 2人の介護が必要になったらうつ病である自分に介護などできるのか、もし2人が死んでしまったらお葬式はどうすればいいのかなど最悪のことを考えてしまいます。 また、7年ほど一人暮らししてましたので、物音や家族の話し声で起きてしまい、自分のことを話されているのではと心臓がドキドキして眠れない状態です。 金銭的な不安や自分がうつ病で死んでしまうかもという不安から慌てて一人暮らしの家を解約して戻ってきてしまったため、よく考えずに戻ってきてしまった自分が情けないです。 うつ病で朝起きられなかったり、たまにおつかいをすることぐらいしかできず不甲斐なさでいっぱいです。 料理も祖母にやってもらってしまっています。(ご厚意に甘えてます) まだ実家に戻ってきて2日しか経っていないのですが、一人暮らしに戻りたくて仕方ありません。 (親の老いに直面し一時的にパニックになっているだけかもしれませんが...) 実家で休養できると思っていたのに...という甘えた考えがあったことへの自己嫌悪もあります。 介護から逃げたいだけじゃないかと... ※一応介助は必要なく2人とも自力で生活はできています...少々物忘れはありますが。 ギリギリまた一人暮らしするお金はなんとかあるのですが、実家に戻ったばかりでまた出るのは情けないでしょうか。 引っ越しのお金はどうにかなったとしても、復職できるのかも不透明で金銭的な不安が拭えません。 医師には一日中寝ててもいいからとにかくゆっくりしてくださいと言われましたが、 気が休まらず全てが八方塞がりで希望がもてません。 主治医に話そうかと思ったのですが次の診察日がかなり先なのでここで質問させていただきたいです。 何卒宜しくお願いいたします。

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老親に心が開けない自分が嫌になります

両親は現在89才と86才、共に軽い認知症で持病も患っています。 施設には入らず、通院しながらお互いを支え合って生きている両親です。 いずれそう遠くない未来にあの世に旅立つことは間違いなく、だから私は少しでも多く実家に顔を出そうと務めております。 破天荒な私と違い、本当に常識的な一般良市民である両親で、私のこともずっと愛して育ててくれました。 それがわかっているのに、昔からどうしてもソリがあいません。相性が合わないと言うのでしょうか。 特に母とは昔から会話をしていてもかみ合わず、どうしてもイラっときてしまって話をする気にならないのです。 例えば、私がバツイチなことについて「老後が寂しいじゃないの。何とかならないの」と心配顔で言われます。 私が「もう再婚する気はないし寂しいとも思わないから大丈夫!」と言っても 「そんな事ないわよ。やっぱりひとりは寂しいわよ」とさらに心配顔で言われ、いたたまれません。 これは一例で、その他私の生き方、考え方が母の理想とは違っているために 会話がはずみません。 こんな感じで私はいたたまれなくなったり、イライラしたりするので なるべく母と話をしたくないのです。 私がもっと心を開いて母とたくさん会話をすれば母はどんなに喜ぶかわかっているのに、です。 この先、母が永遠に旅立った後で自分がどんなに後悔するか、どんなに母を恋しく思うのかしっかり想像できます。 それでも今現在は母との会話を避けてしまう自分が情けないです。

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祖母が認知症になりました

お久しぶりです。 以前から悩みを聞いていただきまして、ありがとうございます。 今回は認知症になった祖母とその子供である私の父親、そして孫である私についてです。 昨年の夏頃から祖母の体調が悪くなり、身体が思うように動けなくなってからか物忘れ等が頻繁に多くなって、とうとう私と父親、家族のことが区別できなくなってきました。 その事については覚悟していたので、いよいよ来てしまったかという心構えができていたのですが、しかし、祖母と仲の悪い母親、そして面倒ごとに巻き込まれたくないと思っている姉、実家から出て行った兄の事を思うとなぜ、自分と父親だけが祖母の面倒を見ないといけないのかと思ってしまい、少し心が穏やかではなくなります。 また、祖母も今まで3回も結婚していて、さらに3回目は熟年離婚ならぬ熟年結婚という形で、それに振り回されていたと理由で父親も祖母に対してあまり良い感情を持っていません。 その事に関して、祖母、父親両方から愚痴を吐かれ正直疲れています。 業という言葉がありますが、おそらく私の場合は家族という業から逃れられないような気がしてなりません。 私が我慢して全ての事を淡々とこなして行くべきなのか、それともある程度までやるという感じで線引きするべきなのか悩んでます。 文章が支離滅裂で読みにくいと思いますが回答のほどよろしくお願いします。

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優しい人間になるには

現在、祖母・父・母・兄と同居しています。祖母は介護が必要でトイレも1人ではままなりません。そのため、父が祖母の介助をしています。 先日、父が介助をしている時にちょうど私が帰宅した際、「手伝おうか」などの声をかけずに去りました。 そのことを父に説教され、手も出されそうになりました。 父からすると、私はいつも逃げているように見えるらしいです。 土曜日に両親は買い物に出かけるルーティンがあるのですが、私は友人が土曜日しか空いてない場合は土曜日に予定を入れます。 そういう点が、家族のことを思いやれてない、気が使えない、将来家族を持つ資格がないように見えるようです。 他にも数々の私の落ち度を指摘されましたが、正直定年退職しても、家事一切せず自室に籠ったまま母に負担をかけている父に言われても…という気持ちになります。 親戚の集まりにも顔を出さないことを指摘されましたが、私はケーキを出したりコーヒーを入れたりしていました。その後会話も盛り上がっていて、少し顔も腫れていたので自室に引いていたのですが、「何様のつもりや」と怒鳴られました。 私は私なりに空いてる時間があれば、家の掃除をしているつもりですし母のサポートもしているつもりでした。 でもただ“つもり”になっていて、大したことはできていなかったのかもしれません。その点は反省し、もっと他人のことを思いやれる人間になりたいと心から思っています。 私はただ他人に気を使える人間になりたいです。自身が至らない点は多々ありますし、まだまだ思いやりを学ぶ必要があらと思います。 これから毎日トイレ掃除をしろと父から言われ、やってみようと思います。 どうしたら何事からも逃げない、優しい人間になるのでしょうか?

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