お悔やみに来ない向かいの家族。
こんにちは
これまで父の事で何度か相談させていただいておりました。
その度に心救われるアドバイスをこちらで頂いて回答して下さった僧侶の方には感謝しております。
父は半年の闘病生活を終え昨年末に旅立ちました。その時が来るまで、毎日母と妹と3人で父の体をさすりながらこれまでの感謝の気持ちと父をを愛してるという事たくさん伝えたました。父が助からないと知ってからは、最期まで父が寂しくないように怖くないように時間の許す限りずっとそばにいようと決め、その思いを貫く事が出来ました。残念ながら父は亡くなりましたが呼吸が止まるその時を見届けることができて娘としてはよかったなと、思っております。
亡くなったあと、友人やご近所の方がたくさんお別れにきては涙をながして父の逝去を悲しんで下さり、私達家族に寄り添って下さいました。親戚、友人に囲まれて優しい父らしい、悲しいけど暖かい葬儀を営むことができました。
そんな中、唯一、私がひっかかることがあります。それは真向かいの家の家族が顔も出さないことです。向かいの家族は中年の夫婦(看護師さんと自衛官)で小学生の子供が3人います。顔を合わせれば挨拶くらいはしますがもともと素っ気無い家族というか、愛想がないというか。。
しかも通夜をしてるとき向かいの子供が回覧板を持って来ました。普通そんな時に子供に回覧板持って行けと頼むでしょうか。私には理解できません。
そんなお向かいの家族でも父は雪が降れば雪かきの手伝いをしてあげたり、困ったときは話し相手になっていたりしてました。それなのに、挨拶ひとつもありません。お悔やみは気持ちだから、その気持ちがないといえばそれまでですが、玄関を出れば毎日目に入ってくるし、モヤモヤしてイライラして誰にもこの気持ちをぶつけれずにいます。そしてなにより父の死を軽んじてるような気がして父が可哀想でなりません。周りのお家の方はほとんど来てくださったのに。なんかその神経が信じられなくて失望しています。この気持ちをどこにぶつけていいか分からずどう処理したらいいか分からずにいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご縁
"周りのお家の方はほとんど来てくださったのに"
まー、世の中にはいろんな人がおるサ。
まー、いろんな事情を抱えている事もあるサ。
”普通そんな時に”
揚げ足を取るようで大変申し訳ないのですが、【普通】とは、あまねく通ずる物事の道理の事です。つまり、いつでも、どこでも、だれにでも一貫されている摂理の事をいいます。あなたの家で葬儀をしていようがパーティーをしていようが、セールスの電話がかかってくる事もあれば、郵便屋さんがポストに手紙を入れていくこともあるでしょう。だから、関係ないと思っている人にとっては、やっぱり関係のない事なんでしょうね。
お向かいさんは、もっとも近いご近所さんなのですこぶる残念な気持ちになるのは仕方のないことですが、家は近いがご縁は遠かったというだけの話です。そんな事よりも、ご尊父様のご供養をしっかりしてあげませんか。
ちなみに私も、かつてウチの門前に住んでいた仲良しだった青年が急逝されたのですが、ご遺族との宗教の違いにより、葬儀への参列はおろか、いまだにお墓にも祭壇にもお参りすることは許されていません。
私からも謹んでお悔やみ申し上げます。
南无阿弥陀佛 合掌
『瞋(ジン)』
身(シン)、口(ク)、意(イ)を『三業(サンゴウ)』と言い…
貪(トン)、瞋(ジン)、痴(チ)を『三毒(サンドク)』と言います。
『三業』を、
「身」… 身の回りの環境・条件
「口」 … 口から出る言葉・思想・価値観
「意」 … 心に願う希望・欲求
と考えた時…
願い(意)が、正しいもの(口)で、実現(身)できたならば、何の不満もありません。
しかし、現実は中々こうはならない。
常にそれができるのは、仏様です。
仏様は…
自分に必要か不要かに関わらず、あるがままに取りこぼしなく物事を感得し…「身」
自分に都合の良い尺度でなく、天地の道理に則った判断をし…「口」
その感得と判断に基づいた節度ある思いを抱かれる…「意」
だから不安や不満がない、思いのまま…『観が自在』なわけです。
ところが、私たちは…
自分に必要な情報しか感得していないのに、取りこぼしに気付かず…『痴(おろかさ)』
自分に都合の良い「正しい」で判断するため、他の価値観を認められず…『瞋(いかり)』
正確な感得にも基づかず、自分に都合の良い願いを際限なく抱く…『貪(むさぼり)』
…ものだから、いつまでも苦悩の中を流転し続けるのです。
あなたは、大切なお父様を亡くされました…
そのお父様の御葬儀という機縁に、『瞋(いかり)』というものを感じられました。
これは、仏様となられたお父様が、大切なあなたに残された『お導き』ではないでしょうか?
「娘よ…『瞋(いかり)』の解決という課題をお前に遺す。お前ならできるはずだ。どうかその課題を見事解決して、心安らかに、幸せに暮らしておくれ…」
そんな…いのちを懸けて遺したお父様の思いではないでしょうか?
その解決は決して簡単ではありません。
今まで積み上げてきた『自分』を、一度ぶっ壊して再構築する大仕事です。
ですが、仏様となられたあなたのお父様が、いつも見守って下さいます。
「ハスノハ」というご縁もございます。
お父様に経過報告を…見事解決できた暁には感謝を…
そんなあなたのお姿が、『お導きを遺した』…ということで、お父様が仏としての功徳を積むことになるのです。
社交辞令のお参りを頂くよりも、何よりの供養だと思いますょ…
そして、あなたが見事『瞋』を解決できたなら…
「嫌われ役の隣人」というキャストも欠かせなかった…と思えるはずです。
質問者からのお礼
転落院様
ご回答頂きありがとうございます。
まったくその通りだと思いました。
家は近いがご縁は遠かった、という言葉がスッと心に入りとても気持ちが楽になりました。むしろそんなことで悩んでいたなんてと、ちょっと自分が馬鹿馬鹿しくさえ感じました。父の供養のことだけを考えていきます。本当にすっきりしました!ありがとうございました。
ガルーシャ様
ご回答いただきありがとうございます。
いかり の解決は社交辞令のお参りを頂くより何よりの供養になるというお言葉がすごく身に染みました。まったくその通りだと思います。父の供養の事を一番に考えていきたいと思います!本当にありがとうございました。