友人の酒乱暴行への怒りが再燃し許せません
15年程前に酒乱状態の女性友人Aに異性もいる前で性的暴力を受けました。
Aとその友人女のBで、私の恋人も含む異性の前で「この蛇女が」と言いながら無理やり服を剥ぎ捲られ見世物にされました。
私は必死で二人の頭を平手で叩き叫んで止め、屋外に飛び出し泣き崩れました。
男性陣は茫然自失で何もできず。
原因は、友人Aが私と恋人が付き合う前に彼につきまとい振られていた事。
ベロベロに酔い電話してきてストーカーかと恐怖したと彼は言っていました。
Aは嫉妬したと思いますが、私はAの失恋と無関係です。
Aは普段は優しい人柄で、親がアル中で苦労した人でした。
私にとってセクハラで済まない性犯罪で、元々小児期の性被害でトラウマもあり苦しみました。
が、さらに辛かったのは翌日にAがウェブに「全く記憶がない、友人よいつも許してくれてありがとう!」と書いたことでした。
被害を訴える口を封じられ怒りのやり場を失いました。
しかし友人Aは根は善良なので、15年懸命に許してきました。
彼と別れた後にAとは友情復活し、相手も辛い人生だったと理解し助け合ってきました。事件詳細はAの心は自分の罪に耐えられないだろうと、言えずに来ました。
ところが近年、Aは子供期や前世を振り返る霊感セラピーを受け「幸せになった」と豪語し、私に「あなたも心が泣いている。セラピーを受け私のように幸せになれ」と迫りました。
Aに幼児期に受けた性被害への怒りの言葉を一方的に見せられ、それはまさに私がAに対し思っている内容でした。(やめろ!気持ち悪い!など)
Aの行為は私にとって加害者本人によるセカンドレイプに他ならず、長年抑え込んでいた怒りが爆発しPTSD状態が発動しました。
現在、記憶のないAに過去の彼女の性暴力を告げ、加害事実を自覚させたく思っています。
相手が加害を認識していないことが、最も許せず狂おしいからです。
高貴な存在だった前世は思い出すのに、自分の加害は思い出さないインチキも腹立たしい。私の行為は正当か、Aへの復讐となり悪業となるのか、許せない自分が未熟ではと悩みます。反省機会がないのはさらに悪とも聞き、機会を提供すべきかとも思います。
今私は既婚で幸せ。ようやく結婚し幸せ掴んだAを反省地獄に転落させるのは、私の慈悲心不足でしょうか?
しかし私は15年かけ自力回復し、セカンドレイプ以来1年苦しみました。
怒りについての迷い。忍辱して「相手の罪を完全に許す」ことが私の修行なのか、それとも記憶のない相手に「加害内容を教え反省の機会を与える」ほうが慈悲の行為なのか迷っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
慈悲って何んでしょう。
夢見さんのご心痛お察し申し上げます。
さて、どのようなお話すればいいのかと思いますが、まずは、Aさんに対しての憎悪の思いは、たしかに悔しいかもしれませんが、切り替えた方がいいと思います。
Aさんは、〇〇セラピーなるものを受けて、幸せと言っているようですが、それは一時的なものに過ぎません。ゆえに、そのことに嫉妬しないでください。
又、15年前の出来事を、しかも酒に酔ってのことです。とても辛く悲しい出義事であったかもしれませんが、その時のことを指摘しても、なんら解決する訳ではありません。むしろ、その事により、今以上の苦しみが増すでしょう。相手が反省するかしないか本人次第であり、加害者であることすらスルーするかもしれません。
>今私は既婚で幸せ。
であれば、その幸せを維持してください。
そのためにも、もう過去のことは忘れてください。忘れていないのは、夢見さんだけなのです。そして苦しんでいるのです。早く解放しなければなりません。
>ようやく結婚し幸せ掴んだAを反省地獄に転落させるのは、私の慈悲心不足でしょうか?
転落させれば、夢見さんはもっと地獄に落とされるでしょう。
慈悲でもなんでもありません。単なる憎悪と憎しみだけで、そのことがすでに地獄です。
せっかく仏教に目覚めたのです。自分も向上し、人をも救うのが仏道です。
この世には、地獄(怒り)餓鬼(貪り)畜生(なまけ)修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、佛と十の世界が説かれていますが、それは、生きている日々の中、そして瞬間の心の動きにも、それぞれの世界を体現しています。
少しでも安らかなる安穏なる毎日でありたいです。
少しで参考になればと思います。
~返信~
お礼ありがとうございます。少しでもお役に立ててよかったです。
すべての出来事には偶然はありません。必然の世界なので、こうしてお話させて頂けるのも、ありがたいご縁です。
魂~あなたがたの魂~は、知る必要のあることはすべて知っている。隠されていることは何もないし、知らされていないこともない。だが、知っているだけでは充分ではない。魂は体験したがっている。
また、いつでもお話ください。
質問者からのお礼
鈴木海祥さま
お忙しい中、丁寧なご回答をまことにありがとうございます。
字数制限でご挨拶も書けず申し訳ありませんでした。
友人Aにされたことについて、強い衝撃を受けると人は記憶を封じ、それが何かのキッカケでフタが開くといいますが、まさにそんな状態でした。
Bの方はその場にいた初対面の男性を理由もなく殴っていました。
二人は獣のようで、男性たちも衝撃で身動きできなくなっていました。
自分の行いを認識すらしていない加害者本人から「あなたには過去の傷を整理できていない心の汚れがある」と言われ、「どの口が言うか!」となると共に、友人はずっと自分自身の弱さから目をそむけ、逃避し続けていることを感じました。
それで、友人にその自覚を持たせ、気付かせるのも私の役割なのではないかと考えました。
友人は身内から受けた行為を、無自覚に他者に行っていたと思います。
「前世は巫女だった」などと言い、妄念に逃げ、未だ自分の弱さから目をそらしている友人に、そのことに気づき、向き合う機会が必要なのではと思い、淡々と「あなたが何をしたのか」という事実だけを伝えようかと思っていました。
しかし、今の心の状態でそれを行うと鈴木様がおっしゃってくださったように「怒り」「憎しみ」の気持ちが文面に溢れてしまうだろうと思います。
そんな状態の自分でいいのか?と疑問がありました。
やはり、そんな状態はよいわけがない、と理解しました。
けれど一方、性加害当事者が自覚を持たないことを、女性は放置してはいけないとも思います。
友人自身の中に渦巻く悲しみも感じます。
こんな悲しい連鎖を繰り返させたくないとも思います。
今一度、冷静になれるまで考えたいと思います。
憎しみから動くことだけはしないようにしたいと思います。
追記です。
実は上の投稿を書いた直後に玄関チャイムが鳴り出てみると、コンビニの店員さんが、昨日忘れたらしい貴重品の忘れ物を届けてくださいました。
このコロナ時世に家に届けてくれるなんて、なんと親切なことかと驚き感動しました。
これが「自分も向上し、人をも救うのが仏道」ということかと思いました。
また同時にポストを見ると、その人ともちょっといざこざがあり怒っていた別の友人からの手紙が入っていて、心あたたまる内容でした。
まるで仏様が見守ってくださっていて、「人の善性を信じなさいよ」と教え諭されたような心地がしました。
瞬間の心の動きに十界があることを、身をもって体験させられたようにも感じ、絶妙なタイミングにもありがたさを感じました。
友人Aは根は間違いなく善良な人であることをしっかり思い出せた気がします。
憎しみをぶつけるのではなく、友人の善性を信じ、自ら学んでゆくことを信じたいと思います。
このように自分を成長させてくれる相手であったんだなと思います。
一年かかりましたが、やっと理解が腑に落ちたように思います。
実は、私は先祖代々の法華経信徒の家系で、最近ふと思い立って法華経の現代語訳を読んでいたところでした。これまで法華経の意味を知りませんでした。
とても心が晴れた思いです。
ご縁とお導きをいただきを、本当にありがとうございました。
さらに追記。
そして今、鈴木海祥さまのお寺のサイトにうかがったとこと
「このページを偶然(偶然はありませんが)読まれたあなたの魂に語りかけるものです」
というお言葉にあたりました。
本当にすべて見事なタイミングで起きて、この一年間欲していたことの答えをいただけました。
友人Aとは、鈴木さまが書いておられるようなことを共に学び合ってきた仲で、同じような苦しみを抱えた者同士、さらに共に法華経の家系でした。
これが縁起というものでしょうか。
友人の善性を信頼し、彼女の幸せを心から願えそうです。
本当に偶然はありませんね。
お導きに深く感謝いたします。