寂しいです
パワハラに転職した後もあい、ひどい扱いを受けました。そうした経験から余裕もなくなり配慮ができず、友達も周りから去り、今残ってる友達もいるのですが、そんなに頻繁に会えず、頻繁に連絡をとるほどの仲でもないです。毎日が寂しくてたまりません。自分が傷つくと分かっているのに、離れた友達に連絡をとってしまいそうになったり、なにをするのも手がつけられません。この寂しさをずっと消えないのでしょうか。数年間ずっと寂しいままです。早く落ち着きたいです。どうしたらいいですか。
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何も間違っていません、一人でも友達が居ることに自信を持って。
パワハラに遭った辛さ想像はすると心が痛みます。許されないことですね。
まず、今まで一人でがんばってきた自分を褒めて欲しいです。
私が感じたのは、パワハラで受けた心のケアと寂しさの問題を分けて考えた方が良いかもしれないという事です。できればトラウマケアの本などを読んでみる事をお勧めしたいです。(可能ならトラウマケアのセラピーを受ける。)あなたと同じような被害を受けた人達が、どう怒り・悲しみ適切に表出させ、ケアし、前に歩み始めたか書かれています。起こった事を安全な場所で、信頼できる専門家の方等に語る。ノート等に書くという事も有効です。非常に原始的で気力がいる作業ですが、意外とこれが大事です。そうした語り・表現のプロセスの中で、人との距離の取り方や自分はどうありたいのかじっくり考えていきましょう。一人で悩むのではなく専門家や他者を頼ると良いと思います。
お釈迦様の言葉です「独り生まれ独り死し独り去り独り来る。誰も代わってくれないし代わってあげられない。(涅槃経)」厳しいですが私達人間の現実を言い当てた言葉だと思います。人間は本来寂しく独りなのではないでしょうか。この寂しさに目覚めることで他者の寂しさも分かり、理解が生まれると思うのです。この目覚めと理解を通さない相手への労りや優しさは見せかけだけのものになるかもしれません。この言葉は人間の寂しさという事実に目覚めて、寂しい者同士共に手をとりあって生きよという仏様の願いだと思うのです。
茨木のり子さんの詩を紹介させて下さい。「一人でいるのは賑やかだ賑やかな賑やかな森だよ。夢がぱちぱちはぜてくる。(中略)誓って負け惜しみなんかじゃない。一人でいるとき淋しいやつが、二人寄ったら、なお淋しい。おおぜい寄ったなら だ だ だ だ だっと 堕落だな。恋人よ、まだどこにいるのかもわからない君、一人でいるとき、一番賑やかなヤツであってくれ。(『一人は賑やか』)」寂しさへの見方が少し変わりませんか?今寂しさについて探求してみてはいかがでしょう?(本を読む等)寂しさを深く知る人になるのです。そのような深みを身につければ、本当に魅力的な人に会った時、自ずと引かれ合い友となれるかもしれません。今寂しさの修行期間・成長する期間と考えることもできます。下記の本等お勧めです『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』『心がつながるのが怖い愛と自己防衛』