生きる目的、価値が無いです
3月に妻に出て行かれ、離婚して二か月になります。
妻といた10年、その生活だけのために全て我慢出来ました。妻と2人でいる事、全てが一緒でした。
生活が苦しくて子供を作る余裕がなかったですが、10年の間は人生最良の人生でした。昨年から保育や教育の無償化が始まり子作りを始めましたが、子作りするにあたり恋愛感情を持たなくなっていた事に気づいた、今の収入では子供が出来ても不安だと突然打ち明けられ、でも子供は諦められないから第二の人生を探したいと離婚を提案されました。
困らせたくなかった私は届に記入しました。その一週間後に仕事から帰ると妻の姿はなく、更に一週間後に離婚受理通知が届き、生きる希望、働く意味を失いました。
そして先月、うつ病になり外出自体が苦痛になりました。
私は何のために息をして、なんとか生活を営んでいるのでしょう。
早く終えたいです。
でも自殺する勇気がないです。自殺はしたい、でも出来ない。
とても悩んでいます。
本当に本当に早く人生を終えたいです。
平均寿命で言えば折り返しですが、今までの半分は楽しく過ごせました。
今終える事が出来れば、少し楽しい思い出が多い状態で満足して人生を終えることがができます。
私はそれで充分です。
この辺で仕舞いにしたいのです。
生きていれば良い事もある
悪い事ばかりではない
そんな事を糧に今の絶望を生きるのは遠慮します。
死に場所を早く見つけたい、一瞬の解放でいいです。
その方法を教えてください。
両親は小学校卒業と同時に離婚、知らない街で母と妹達と暮らし、何も楽しい事のない10代20代でした。 お金を稼ぐ為だけに働く事に嫌気がさし、技師装具製作を学んで働くも会社が廃業した為失職。 再就職も出来ずにいましたがやりたい事を見つけ、その関連職に就きたくて4年頑張りましたが、その頃出会った女性と一緒になりたくて夢を諦め認知症専門の介護職に就きました。 3年後に結婚しましたが、子供を作る金銭的余裕はなく今年の3月に将来に不安があると離婚を切り出され、一週間後に夜勤から帰ると荷物纏めて出て行っていました。 更に一週間後に離婚届けを提出され、4月にうつ病を発症しました。
命を終えたい 自ら命を断つ勇気は無いです 道路や踏切で誰かが死にそうな事故が起きる、そういう事が目の前で起きる事を望み、代わり死にたい。死によって誰かを救いたい。その死に場所を見つけるのが私の欲望
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考えない
こんにちは、初めまして。
大変お力を落としておいでのようです。
お気持ちをお察しします。
「うつ病になり外出自体が苦痛に」とのことなので、先ずは心身をどうぞお大事になさって下さい。
「生きていれば良い事もある 悪い事ばかりではない そんな事を糧に今の絶望を生きるのは遠慮します」とのことです。来るかどうかわからない未確定の幸福を当てに出来ない、そして「何のために息をして」とお考えになるのは無理もないことでしょう。
ただ、
今すぐに答えが出なくてこそ良いこともある、と私は思います。
何かを考えるよりも、何も考えない。
墨で書を書いた時、字を成り立たせているのは、その実線だけありません。
その余白、空間もまた書の一部だと思います。
余白のない書は、書として成立しないでしょう。
当面は、寝る、休む、食べる、最低限のことをする、それだけで上出来とも考えられないでしょうか。
あなたは、「10年の間は人生最良の人生」と表現しておられるように、最良の日々に安らいでおられたところが、いきなり急転直下の状況に身を置かれているようです。戸惑わない方がむしろおかしいぐらいです。ここは少し肩の力を抜いてみませんか。とにかく、力を抜くのです。
今は、言葉を重ねるよりも
考えない
この一つだけを徹底することをお勧めしたいです。
ご参考になれば。
御身お大事に。
ー追記ー
お礼を拝見しました。
ありがとうございました。
考えない、ということを私がお勧めしたのは、あなたがキャパシティーを越えた思考の悪循環をしているからではないかと憂慮したからです。
「生きる希望」とはなにか(思考)→「生きる希望」はない(思考)→「絶望」(苦しみの蓄積)
「働く意味」(思考)→「働く」意味はない(思考)→「絶望」(苦しみの蓄積)
という、問題設定、解決不可能、苦悩という連鎖の奔流の中に、あなたが苦しんでいるのではと老婆心ながら思えばこそ、その循環を一度緩和する、と言う意味で、思考のできるだけの停止をお勧めしました。
思考の停止ができる、できないということがメインのお話ではなく、この悪循環への気付きと当面の応急処置の意味で言いました。
「他力本願」と「待つ」ことは、直接の関係はありません。
阿弥陀如来の救いがあることを自分で聞いていかなければ、聞こえては来ません。
参考まで
質問者からのお礼
お言葉、府に落とす事が出来る内容であり、書に例えていただいたあたりはとても理解し易かったとも感じました。
ありがとうございます。
しかし、考えないと言う事こそが社会生活を営む人間にとってかなりの難題なのです。
本能で生きるためだけに純粋に日々を過ごす事が出来る生き物であれば、どれだけ良かっただろうか。
それら生き物では、喜怒哀楽を感じ幸せを実感する喜びも味わえないのかも知れませんが、生きる事に疑問など持たず必死に日々を過ごす幸せもあるかと存じます。
それを幸せと実感出来る能力を持たない生き物だとしても、今の私にとっては羨ましい生き方です。
おっしゃる日々の過ごし方が出来れば有り難いとは思います。私の問いに解決へ導く答えは無いのかも知れません。
ただ、他の宗教と比べ仏教は命を断つ事に対して寛容であるとも認識しています。
考えない、今はただ最低限の生き方をして機を待つような考えは、他力本願、絶対他力などにも通ずるような気もします。
ようするに今の現状を打破するには、待つ事なのでしょうか。
私なりのお言葉に対する勝手な解釈で申し訳ありませんが、そのように理解しました。
そのようにしばらくの時間を使えれば、癒される時も来るとは思います。
身も蓋もない言い方ですが、それが出来ないからお言葉をいただきました。
そしてなにより、やり取りが出来た事に感謝します。
ありがとうございました。
また機会があれば、宜しくお願い致します。