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神様にお話をすること

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質問失礼します。
私は最近昔の過ちや、最近のことで自分の行為で悪いと思ったことを正座をして神様に申し訳ありませんでした。と、お話をさせていただいています。

ただそこで、自宅などで神様にお話をすることはいいことでしょうか?

それと、お話をしたあと、失礼いたします。失礼しました。と言い、礼をしています。
その際、他のことを考えてしまったりして、失礼なことをしたと思い、何度も礼をしてしまいます。
礼の仕方、礼の回数、礼をする際にどのようなことを考えればよろしいでしょうか。

また、親が言っていたのですが、私の家は浄土真宗らしいので、どの方向を向いてお話をすれば良いのか、どのような方法でお話すればいいか、などお教え頂ければ幸いです。

カテゴリが分からないのでその他にさせていただきました。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

我流は危険

すみません。
ちょっと意味がわかりません。

世の中には訳の分からないヤバイ宗教が無数に横行していますが、あなたのように独善的で我流の信仰も、場合によっては相当危険だと思います。事と次第によっては、心身の健康を害する事も往々にしてあります。

せっかく浄土真宗にご縁がるのなら、手次のお寺の報恩講など法要に参詣してみるとか法話を聞いてみるとかして、少しちゃんと学ばれたほうがよいと思います。

初詣は神社、クリスマス、ハロウィン、葬式には仏教と、豊かな感受性とマルチなセンスは日本人の長所でもありますが、それは同時に宗教音痴であるとも言えます。

ご参考までに↓
https://hasunoha.jp/questions/42746

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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反省できることは 素晴らしいこと

 Shoさん、おはようございます。自分の過ちや悪かったということを思い出して、反省ができる。このことは、とても素晴らしいことです。ところで、「お話をしたあと、失礼いたします。失礼しました。と言い、礼をしています。」とありますが、これはどなたかから教えてもらった方法ですか。お話ししている神さまとは、Shoさんにとってどんな存在ですか。もし、宮司さんなどからこのようなアドバイスを受けたのなら、その方にもう少し詳しくお尋ねした方が良いでしょう。
 
 でも、せっかくこのハスノハに質問をしていただいたのですから、私は仏教、そして浄土真宗の視点からお応えしたいと思います。 「家が浄土真宗だ」そうですね。Shoさんは、これまで浄土真宗のお坊さまにリアルに出会ったことがありますか。お葬儀やご法事などで、一緒にお経をあげたり、そのお坊さまのご法話を聞いたり、分からないことを質問したりするチャンスがありましたか?私たちとしては、今日のようなご相談も日頃から気軽にお尋ねいただける関係性でありたいと思っています。お母さまにお寺さまの連絡先を聞いて、直接お尋ねしてみてください。もし、連絡先がわからない場合は、インターネットを利用して、Shoさんが足を運べる圏内の浄土真宗のお寺を検索し、連絡を取ってみてください。
 
 お葬儀やご法事だけでなく、人生のよりどころ・本当の支えとなる教え、これが本来の仏教であり、浄土真宗です。「悪いとわかっていてもやってしまう、やらねばならないと思っていてもできない」そんな矛盾を抱えている私たち一人一人に「そばに寄り添い、導き続けていくぞ」と働き続ける仏さま、それが浄土真宗のご本尊・阿弥陀仏です。そのことを体験していただける拠点が浄土真宗のお寺です。どうぞ、「家が浄土真宗だ」というきっかけを大切にして、これからも仏縁を重ねていただけると嬉しいです。応援しています。

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おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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浄土真宗は仏教です。

はじめまして。
こちらにご質問なさっているので、浄土真宗が仏教、お坊さんと関係があるということはわかっていらっしゃるのでしょう。
神様、というのはどのような神様でしょう?
キリスト教にもイスラム教にも、また日本古来からある神道にも神様はいらっしゃいます。
仏教の経典にも「神」という言葉は出て参ります。
しかし、私たち浄土真宗では神様に相談したり、何かを頼んだり、祈ったりはいたしません。
浄土真宗は阿弥陀如来という仏様をよりどころとさせていただいております。

相談したり、謝ったりしたくなるお気持ちはよくわかるのですが、だからといって願いが叶ったり、あるいはあなたの罪がなくなるわけではありません。

できることならば、ご家族、ご親戚が頼んでいる浄土真宗のお寺さま(お手付きとか所属とか、わかりやすくいうと菩提寺とか言われるような)にお聞きになるのが一番ですが、なかなかそうもいかないのかもしれませんね。

ただ、あなたの「礼をつくしたい」「他のこと考えて失礼になっていないか不安」「謝りたいことがある」という思いはとてもよく伝わってきました。
阿弥陀さまは「いまここ」の如来さまです。
お寺やお仏壇の前にしかいないのではありません。
謝っているはずなのに他のことを考えてしまう、そんなつもりはないのに罪をおかしてしまう、そんな私を(あなたを)救いのめあてとしてくださる仏さまです。

もしあなたがもっともっとお聞きになりたいことがあれば、お知り合いのお坊さまや浄土真宗に関する本、YouTubeなどいろいろと媒体(手段)はあります。
お話したいことがあれば、このhasunohaにてたくさんのお坊さんのお話や回答が聞けるかと思います。

ご参考になれば幸いです。

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おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 お寺の娘として産まれ、小さなお寺ではありま...
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質問者からのお礼

私のために説明などして頂きありがとうございます。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ