苦しくてたまらないです
今月はじめにもご相談させていただきました幸枝と申します。
4/15日に倒れ意識障害になった父親は今も意識が戻る事なく病院で眠っております。
一度も行ってあげる事ができなかった父が住んでいたマンションも、もう引き上げる事になり、整理をしています。
整理をしていますと写真や書き物が目に付き、私たち家族と疎遠になってからの父の生活を目の当たりにする事になり、大変辛い作業です。
2年前に私の家に訪問してくれた父に会ってあげられなかった想いがなぜかどんどんと大きくなっています。
「どうして出てあげられなかったのか。」という後悔で気がおかしくなりそうなのです。
20年前のギャンブルや浪費による自己破産の衝撃が余りに大きかったので、関わる事の恐怖が先に立ち、父に会う事をずっと避けていました。会う事ができなかったのです。
貯金も何も残していなかった父なので、2年前の訪問の時から関わっていたら、きっと、私にずっと依存してきただろうとは思います。
でもそれでも援助したら良かったと今思えるのは、父の訪問から今までは2年だった、という事実が今ここにあるからだとは思います。
母親は「あんたが援助なんかしてたら、全部カラオケに消えてたよ」
弟は「好きなように生きてきた人間の末路。全然かわいそうではない」
と言います。
今までは私も同じように思っていたのに、今では気持ちを分かち合う事も出来なくなりました。
涙が止まらない毎日を過ごしています。
罪悪感や後悔は自然にいつか心の整理が付くのでしょうか。
消える事がありますか。
乗り越える事はできますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
丘を超えて行く。
ご質問拝読しました。
お母さまも弟さまも、
あなたにお任せで、
お一人で抱え込んで、
いらっしゃっていませんか?
あなた1人で引き受けるには、
重過ぎのではないですか。
お父さまが回復されても、
もとの生活に戻るのは、
困難なように思います。
お父さまの施設入所、
特養や老健については、
おかあさまや弟さまと、
ご相談ください。
愚僧もいま両親の高齢化に伴い、
ようは両親が片付けが
出来なくなっているので、
断捨離をしています。
思い出が詰まっているとか、
まだ使えるとか、
相当非難されていますが、
3ヶ月以上使っておらず、
領収書など残す必要のあるものを
除いて、
捨てています。
懐かしいとか、
思い出だとか、
感慨に耽っていると、
本当に作業が進みません。
基準を決めて、
まずは捨てることです。
そう決めたら、
あまり悩まなくなると思います。
お父さまと言え、
別人格です。
お父さまにはお父さまの人生です。
あなたには、
あなたの人生。
責任をとれるのは、
自分の人生だけです。
気負うこともありませんよ。
ご自身の人生を
どう生きていくのか、
このことに、
どうか注力してくださいませ。
お父さまのご回復を
祈念しています。
罪悪感と後悔は使いよう。
ご質問ありがとうございます。
理由がどうあれ、自分の父親の元気のない姿を見て、とてもお辛いでしょう。
自分がやれることを、自分がやってあげたいことをしてあげるといいと思いますよ。
今までの罪悪感や後悔は全てを消すことはできなくても、まだ軽くすることはできると思います。
でも、今やりたいことをやらないと、また更なる罪悪感と後悔を生むでしょう。
今やりたいことをやっても後悔は生まれるかもしれません。
大事なのは自分がどうしたいか、何をしたいかです。
そして、何かしたらならば、実行したら自分を褒めてください。
よくやったねと言ってあげてください。
罪悪感と後悔は使いようです。
どう活かすかです。
質問者からのお礼
早速に温かいお言葉をありがとうございます。
確かに今は自分を責めて責めて攻撃している気がします。
自分が行った事に対して自分を誉める事は今、なかなか難しいですが、努力してみます。
花山雲吉様
ありがとうございます。
私は疎遠になっていた父親の20年を知りたくて、写真やメモを読み漁っています。
辛くて堪らないのに毎日見てしまいます。
父は植物状態で回復の見込みはありません。20年ぶりの再会がこんな形になってしまいました。
お父さんはお父さんの人生。
あなたはあなたの人生。
責任を取れるのは自分の人生。
そうですね。
高齢の父の2年前の訪問は経済的にも身体的にも苦しく私へのSOSでした。
関わってあげられなかった、助けてあげられなかった。父への懺悔の気持ちが大きいです。大好きだったのに近づけなかった後悔も大きいです。
父の人生。責任を取るのは父。あなたではないですよ。と言ってくださったようで救われました。
ありがとうございます。