さびしいです。
はじめまして。よろしくお願いします。
私は、とても恵まれた環境にいます。会社勤めの主人と子ども達。住宅街の一戸建てに住み、
自分の好きな仕事をし、趣味も楽しんでいます。
でも、心が満たされていないのです。
誰も、私がこんな気持ちでいるとは気づいていません
私は、仕事も家事も子育てもそつなくこなしています。元気に見せています。
贅沢病でしょうか?
アドバイスよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
少欲知足
はじめまして。
「貨幣の雨が降ろうとも、欲望の満たされることはない」という言葉があります。
何かが足りない。胸が苦しんでいるんですよね。それが人間というものであり、仏教でいうところの「凡夫」であるということです。ちなみに、私にも同じように感じる時があります。そんな時には、お釈迦様が仰った「少欲知足」という言葉を思い出すようにしています。「少欲知足」とは「欲少なくして足るを知る」ということです。求めても求めても何かが足りないと思い続けていたら、いつまで経っても苦しみから抜け出すことは出来ません。あなたが自分自身でとても満たされた環境にいると思うのならば、その環境、周りにいてくれる人達へ、常に感謝の念を持って生きていくことです。何故ならば、諸行無常であり、すべてのものは移ろい変わりゆくからです。それは、あなたの環境も同じことであります。「今」環境に満たされているとしても、人生は常ではありません。この先、変わってしまうこと、失ってしまうことも多々あるでしょう。その時になって、あぁ、あの時は良かったな。などと思っても後の祭りなんです。
どうか、「今」を大切に。感謝の心と謙虚な気持ちをお忘れなく。
何のために生まれたのか
お話聞かせていただきました。
一見、満ち足りた生活を送っていながらも、心が満たされない。
ある人は贅沢病と言うかもしれませんが、あなたにとっては大事なことです。
人は衣食住のすべてが満たされたところに、他人と物理的に寄り添うだけでは解決できない孤独に気づくといいます。
アンパンマンの主題歌で
「なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
という歌詞があります。
あなたはまさに自分が何のために生まれ、何をして生きていく存在なのかを確かめるタイミングにおられるのではないでしょうか。
一般的に幸せだと思われる項目は少し横に置き、自分の心の動きに注目してみると良いかもしれません。
趣味や仕事、家事の間でも、喜ぶ、悲しむ、ほっこりする、満たされるなど、小さくとも沸き起こる感情があるはずです。
心は近くにあるだけに日常に流されやすく見落としている感情もあります。丁寧に心を見る目をもつことで、自分の求めるものが見えてくると思います。
お住いの近くにあるお寺での座禅や写経体験などに参加されるのもよいいかもしれませんね。昨今の状況からZoomでの座禅会や瞑想会も開かれています。
お釈迦様も出家前は悩む必要がないほど恵まれた環境におられました。王国の王子であり、お金、贅沢な住まいや衣類、食事、美しい妻、約束された将来。しかし満たされない心は晴れず、すべてを捨てて出家されたのです。
すべてを捨てて出家される必要はありませんが、ピーナッツさんが「このために自分は生きている」と感じられることを見つけてほしいと思います。
質問者からのお礼
日延さま
回答ありがとうございます。
"少欲知足" その通りですね。
今に感謝できなければ、心が満たされることはないですもんね。
日延さまも このように感じることがあるとのこと。とても 思いやりのある言葉に安心しました。
謙虚な気持ちで''今''を大切に過ごしたいと思います。
ありがとうございました😊
曽場さま
回答ありがとうございます。
自分が何をしていくべきなのか考えるタイミングにきている、との
ご指摘 その通りだと思います。
自分の内面に向き合って過ごしてみようと思います。その方法として、写経や坐禅会など参加させていただこうと思います。
ありがとうございました😊