どうしても他人に完璧を求める夫について
はじめまして。
今回は私を始めとする、全ての他人に期待と完璧を求めてしまっては愚痴が止まらなくなり
ついには疑心暗鬼になってしまっている夫についてご相談に参りました。
普段は情に厚く、関わりを持った人たちの隅々まで観察して気を配るような人なのですが
ただでさえそれが裏目に出ては“ここが気に食わない、あそこが気に食わない”と、こぼすような事があり
以前に友人関係で大きなトラブルが連発してからは、
疑心暗鬼まで起こして重箱の隅をつつくように“○○さんのこう言う行動ってこうなんじゃ…”とか
すべてに疑ってかかるような言動を私に言ってくるようになったので
「気にしすぎだよ」と、なだめたり「そう言う時は他のものに目を向けたり
他の場所へ遊びに行ってみたりするといいよ」とアドバイスをしてみたりもしましたが
どうも固執してしまっているようで、私の言葉なんて聞き入れるどころか耳にも入って来ない模様で。
日頃「どんな目に遭おうが貴方は一人じゃない、こうして最後の最後まで私が付いてるでしょ?
だから他人の行動や言葉なんて気にする必要はない」と声掛けしてもコレなので
もう正直手の打ちようがないなぁと放置や無視したくなっています。
ただ私の父親の事もあるので、夫をほっとけない気持ちもあります。
その私の父親ですが、離婚してからは元々の人嫌いから孤独な生活を自ら選んでいるそうなのですが
今では見る影もなく疲れ果て、私達娘の目もまともに見ようとしなくなり、メールでの会話も長時間は不可能と言った具合で
あまりにも変わり果ててしまい、放っておいたら夫もこうなってしまうのではないかと恐ろしくなってしまうのです。
これ以上、夫の疑心暗鬼を強めないために
また他人を隅々までは見る必要はないし、私も含め、他人は自分の思い通りには動きはしないと理解してもらうためには
私からはどう彼に接していったり伝えていったら良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に豊かな人生
拝読させて頂きました。
あなたがご心配なさるのもよくわかります。どうしても人の欠点ばかりを見つけてしまって愚痴ってしまうのも私達人間ですからね。しかしそれを繰り返していれば常に愚痴ばっかり言って誰も相手にしてくれなくなります。
「脚下照顧」という言葉があります。
自分自身の足元を見つめ直すということです。
私達一人一人は本当に些細な愚かな存在であることを見つめ直すことです。
私達一人一人では何にもできません、誰かが恵み支えて下さっているから今の自分があるのです。人の悪口を言う前に先ず自分のことを見つめ直すことです。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉があります。
本当に自分自身が出来ているならば余計に他のものに対して謙虚に感謝の気持ちを持てるという意味です。秋の稲穂が沢山実っていくほどにその豊かさゆえに頭を下げるように垂れていくことを表しています。
一度旦那さんにお伝えなさってみて下さいね。
旦那さんにもあなたにもこれからの人生が心豊かに充実した毎日であります様心から祈っています。