不幸になりたがる
私は不幸になりたがっているのだと思います。幸福になる勇気をいただけませんか。
常に人に怯え、悪口を言われている被害妄想がやめられません。
楽しいことや贅沢なこと、着飾ることに大きな罪悪感があります。本当は嫌なのに長時間働いたり休みの日に勉強したりすると、罪悪感が薄れて落ち着きます。おしゃれをして遊びに行くと、自分には楽しむ資格がないと感じ、楽しいふりをしてしまいます。
不幸の原因は大きく以下4つだと思います。
・いじめをした
・かつて恋人を裏切った
・ブスだった
・親を恨んでいて、親への当てつけのために不幸になろうとしている
・子供の頃は弱く友達ができませんでした。だから中学では強くなりたいと、たくさんの同級生を無視したり、力の強い子に媚びましたが、心が成長すると深く後悔するようになりました。
私がいじめたたくさんの人たちに、私が幸せになっているところを知られるのが怖いです。
・かつて一人の人と長い間交際しました。恋人はとても私を大切にしてくれましたが、私は別の人(今の夫)のことがどうしても好きになり恋人をこっぴどく振りました。あのときはそれが最善だったし後悔もしていませんが、ひどいことをしたくせに私が幸せになっているのを元恋人に知られるのが怖いです。
・子供の頃は人に容姿を馬鹿にされることもありました。また近くで他人の容姿の話が聞こえると自分はどれほど悪く言われているだろうと怯えていました。今でも、おしゃれをしても痛々しく見られているような妄想がやめられません。
・子供の頃に母から「勉強しないと良い暮らしが送れない」と言われ、人と比べられ、行きたくない塾や進学校に通いました。家で嫌な思いをたくさんして、感謝など全くありません。だから母の正しさを認められず、母が間違っていたと思い知らせたい衝動が止められません。私が不幸になってもきっと母は単に勉強が足りずに不幸になったと思うでしょう。私が幸福になれば母は母が頑張ったおかげで私が幸福になったと思うでしょう。私が幸福になって母が誇らしげにするのがとても嫌です。
私が幸せになるかどうかなんて私の勝手だとわかっているのに、いざポジティブなことをしようとすると発作のようにブレーキがかかってしまいます。本当に不幸なのではなく単に幸せになる勇気がないんだと思います。幸せになる勇気になる言葉をいただけませんか。
人から悪口を言われている被害妄想がやめられない 自分を卑下することがやめられない 人にきつい物言いをしてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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