水子への想い、供養、自分の欲
先日、稽留流産の手術を受けました。
私の中で確かに生きて、精一杯の命で一生懸命に生きてくれた我が子のことが大好きだし、これからもずっと私達夫婦の宝物です。
数日前まで私の中にいて、ずっと一緒に過ごしていたのに、もう私の中にはいないのだと思うととても悲しいです。でも、私の中にはいなくても、今もずっと側で一緒に過ごしているような気がします。
供養もちゃんとしたいのですが、どのようにするのが一番良いのかと、今考え中です。自分が心から安らぎを感じられるようなお寺でしたいと思っているので、探すのに時間がかかってしまうかもしれません。
ここでしたいと思うお寺が見つかった時に、水子のことを思ってそこで手を合わせるだけでも供養になるのでしょうか?
自分の欲についてですが、こんなに悲しい中でもお腹は空きます。妊娠中つわりで食欲がない中でも、お寿司だけは食べたい気持ちがあり、でも妊娠中なので我慢していました。
今はつわりがなくなり、お寿司を食べたい気持ちが一層強くなってしまいました。
また、もうすぐ結婚記念日で、私にとって大切な日で、毎年主人と二人の時間を作って過ごしています。
まだ水子の供養もちゃんとできていない中で、悲しい想いもある中で、でも私にとって特別な結婚記念日も特別な日として過ごしたいと思ってしまいます。
水子の供養がちゃんとできるまでは、自分の欲も我慢するべきでしょうか?
こんな中で、こんなことを考えてしまうことにも罪悪感があります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しみと温もりを感じます。
なのはさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。
なのはさんのお腹の中にいたお子さんを亡くされたのですね。お子さんは精一杯、一生懸命に生きておられた。なのはさんはお子さんのことが大好きで、これからもご夫婦の宝物なのですね。
ずっと一緒に過ごしていたのに、今はなのはさんのお腹にいないことが悲しいの。けれども、お腹の中にはいなくても、いまでもずっとなのはさんたちと、一緒に過ごしているように感じているのですね。
お子さんの供養もしたいけれども、どういう形が良いか考えておられるとのこと。なのはさんが、心から安らぎを感じられるお寺で供養したくて、もしかしたら探すことに時間がかかるかもしれない。
ここでしたいというお寺が見つかったら、お子さんのことを思ってそこで手を合わせることで供養になるのかが質問なのですね。
また、ご自身が悲しいときでもお腹が空く。つわりで食欲が無い時も、お寿司を食べたい気持ちがあった。けれども、妊娠中だったので生魚は我慢していたのですね。今はつわりもなくなったから、お寿司を食べたい気持ちが強くなっている。
もうすぐ結婚記念日で、なのはさんにとって大切な日。毎年、ご主人と二人の時間を使って過ごされている。
まだ、お子さんの供養をしていないし、悲しい想いもある中で、けれども、なのはさんにとって特別な結婚記念日を特別な人して過ごしたいと考えておられる。
お子さんの供養ができるまで、ご自身の欲は我慢するべきか。また、こういった事を考えることにも罪悪感がある。
なのはさんのお言葉を通してそのように聞かせていただきました。
私自身の考えとしては、なのはさんたちが、それだけで良いと思っているならば、お寺で手を合わせるだけということも悪くないと思います。
一方で、もし、金銭的な負担や、信仰上の問題が無ければ、葬儀や法事に準じた形で、亡くなったお子さんを縁にした仏事を勤めることを勧めたいと思います。
信頼できる僧侶や、条件にあったお寺を探す必要もありますので、無理にとは申しません。けれども、亡きお子さんを仏として出会える場所として、1人の真宗僧侶としては仏事を勤めて欲しいですね。
お寿司と結婚記念日は良いと思います。食べましょう。また、結婚記念日は特別ですね。今年は3人の時間ですから。
質問者からのお礼
温かいご回答ありがとうございます。
やはり、大切な私達の子どものためにしっかりと供養しようと思います。わからないことが多いので、良いお寺が見つかった時にそのお寺の方にお話を伺ったり、またこちらで質問させていただくかもしれません。納得いく形で供養しようと思います。
自分の欲についてもお言葉をいただき、心が軽くなりました。本当にありがとうございます。