供養の意味、種類、方法。お坊さんに聞く供養相談29例
亡くなった人や先祖を供養する時、私たちの多くは仏壇に手を合わせ、お供え物をしたりお経を読んだりすることでしょう。しかし、供養には本来どういった意味があるのでしょうか。宗派によっても考え方や作法が少しずつ違う中、私たちはどのような思いで供養と向き合っていけばよいのでしょうか。hasunohaのお坊さん方のお力をお借りしながら、供養について一緒に学んでいきましょう。
供養とは
供養とは、仏教において、仏や菩薩などに対して、尊敬の意をもって、真心から読経をしたり、御花や御供物をささげることをいいます。
もともとはサンスクリット語の「プージャー」を日本語に訳したもので、「尊敬」を表す言葉です。
日本において供養といえば、特に先祖や亡くなった方への「追善供養」を指すことが多く、日常的には、亡くなった方(仏様)に対する弔い行為全般を指して「供養」と呼んでいるといえるでしょう。
日本の供養の種類
日本において、供養はおおよそ3つの形に分けられます。
亡くなった方に対する供養、ペットや動物に対する供養、長年使用してきた道具など命のないものに対する供養です。それぞれどのような内容なのか、みていきましょう。
故人に対する供養
葬儀の後、49日や一周忌といった節目に親族で集まって法要を行い、お坊さんを呼んで読経をしてもらう、お墓参りやお仏壇に故人の好きだったものを供えるなどといったことが一般には行われています。
また、身寄りがいなく供養ができないなどといった事情により、親族に代わりお寺が供養を行う「永代供養」や、戦争や災害で亡くなった大勢の方を供養するために慰霊碑を立てる、慰霊祭を執り行うことも含まれます。
「水子供養」は、流産や中絶などで死産したり、生まれて間もなく亡くなった赤ちゃんを弔うための供養で、水子の成仏を願った水子地蔵が全国の供養を行う寺に設置されています。
動物に対する供養
近年ではペットを飼う人が増え、ペット専門の葬儀会社も多く見られます。家族の一員としてのペットを大切に思うことから、ペット専用の骨壺や骨を含んだペンダントなども需要が増えているようです。
畜産動物や実験動物、競走馬など人間のために亡くなっていった動物への供養も全国で行われています。
道具など命のないものに対する供養
日本では仏教伝来以前から、大切に長年使ってきた道具には神様が宿るという「九十九(つくも)神信仰」があります。そのことから針供養、人形供養、写真供養、鏡供養など様々なものへの供養が行われています。
近頃では、ロボット供養やSNS炎上供養など、時代の流れを感じるような供養も行われているようです。
追善供養とは?
追善供養とは、亡くなった方の成仏を祈るために行う供養です。「追善」には、生きている人が善行を積み、その徳を亡くなった人に振り分けることで、成仏できるようにという願いを込めて行うという意味があります。供養という言葉を聞いて、まず最初に法事を思い浮かべる方は多いと思いますが、人が亡くなった時、葬儀の後に行われる四十九日法要、一周忌や三周忌などの年法要も追善供養の一つです。もっと広い意味では、毎日お仏壇に手を合わせる、お経を読む、お墓参りをするといったことも追善供養に含まれます。
仏教と先祖供養の関係
実は仏教が初めてインドで生まれた時、先祖を供養するという教えはありませんでした。しかし古来の日本人は、仏教が伝来するずっと以前から先祖を敬い大切にしてきたといわれています。現在の先祖供養は、中国に渡った仏教に先祖を大切にする儒教の教えが取り入れられた上で、日本に馴染みやすい形で広がったようです。
では仏教において、先祖供養に対してはどのような考え方なのでしょうか。よく「先祖の祟り」や「供養を行わないから不幸現象が起こっている」といったことを耳にしますが、仏教では輪廻転生、因果応報を説かれていますから、そういったこととは違います。
hasunohaのお坊さん方によると、仏教では先祖に感謝して恩に報いる、先祖の喜ぶことを行うといったスタンスで、先祖供養を位置付けているそうです。先祖のうち誰か一人でも欠ければ、今の私たちはこの世に生まれていません。太古の昔から脈々と受け継がれてきた命があってこそ、今の自分があるのですね。その恩を思い、感謝をもって手を合わせる時、本当の先祖供養に繋がっていくのではないでしょうか。
供養をする本当の意味。故人にとって一番の供養は?
本来、どのような気持ちで、何のために供養を行うのでしょうか。「供養」という言葉を読み解いていくと、ヒントが見えてきます。実は供養は「供給資養」の略語からきています。
供物を捧げ、お経を唱えることを通して、その功徳により仏様とのご縁を自分の中に養うこと。
亡くなった人を真心を込めて供養させて頂くと同時に、故人の生前のはからいに感謝し、自らの人生を見つめなおす機会を頂くのです。
故人にとって一番の供養は、子孫や残された人々が徳を積み、豊かで幸せな人生を送ることだと、hasunohaのお坊さん方はおっしゃっています。その徳が、巡り巡って故人と、私たちの幸せにつながるのではないでしょうか。
お坊さんに聞きたい。供養の相談【29例】
hasunohaでは、供養の仕方や意味、ご先祖様や水子、ペット、人形の供養、お墓や仏壇と供養、成仏や祟りについてなどさまざな相談にお坊さんからお答えをいただいています。ここからはもう少し詳しく、供養についてのみなさんの相談をご紹介します。
知らなかった!供養あれこれ
卒塔婆供養について
Q:卒塔婆供養は誰が出すものなのでしょうか?
A:施主以外の方も全然大丈夫ですので、是非とも追善供養で、塔婆もこしらえてください。舎利(お 骨)を本来は納める建物のことを表し、東京タワーのような「塔」を示します。「塔」があることで、目印として御霊と供養される方々が供養塔がここにあることを認識します。塔婆を建てることは、新しくお墓(部屋)をこしらえるといった意味合いでお捉えいただければ結構です。
元の問答:卒塔婆?塔婆?
お線香は夜に焚かないほうがいい?
Q:夜にお線香を焚くと供養して欲しがっている霊が寄って来るから
やめたほうがいいと聞いたことがあるんです。仏教的に夜にお線香はよくない作法なのでしょうか。
A:お通夜って夜ですよね。夜にお線香を焚いても問題ありません。
お香は仏教において重要なアイテムであり作法です。その意義は、その「場」やこの「身」を香りで浄めるというものです。昼夜関係なくお勤め(読経)前にはお香を焚くものだと思います。元の問答:夜にお線香焚いてもいいですか?
施餓鬼供養について
Q:どこのお寺様でも施餓鬼供養されているのですか?
例えば、ご先祖と祖父は塔婆で、両親は護摩供養と差を付けても良いものなのでしょうか?
A:全てご供養してあげたい気持ちは分かりますが、全ての霊ではなく、ご両親のご供養だけでもよろしいかと思います。
また、ご先祖と祖父は塔婆で、両親は護摩供養でも良いと思います。
ご先祖様も供養してあげたいと思うあなたの気持ちは十分伝わると思います。
たとえ野の花一輪を捧げるだけでも、ご先祖様は良い供養と思ってくれます。元の問答:施餓鬼供養について
終活の方法
Q:私自身(40代)の病気が少しずつ進み終活をしなければ、と思います。
どこから手をつければよいのか分からず、不安です。
A:残された方たちのために「迷惑のかからないように」という終活も大事だとは思います。しかし
もう一つ大事なのは「自分のために」する終活です。自分の人生の意味や、生まれた意義、死を迎える恐怖、先に逝くものとして伝えたい事…そうしたものと自らが向き合う終活です。残された方たちは、あなたが「どう伝え、どう指示したか」よりも、実際に「どう生き、何を大事にし、何を信じていたか」といった事が心に刻まれるのではないでしょうか。そのためにもまずは自分が拠り所となるものに出会い、しっかりと生ききり、やがて来るその時を迎えることが大事なのでしょう。元の問答:終活どうすればいいでしょうか
妊婦は葬式に参列してはいけませんか?
Q:妊婦はお葬式に参列は慎むべきと昔、自分の親族から聞いた憶えがあります。本当でしょうか?
A:根拠の無い迷信です。一番良いのは「禁忌を話題にしない」ことです。話題にすることが「迷信の再生産」になるからです。仮に話題として出た場合は「その禁忌は根拠の無い迷信である」ことをその場にいる人たちに言いましょう。そして「妊婦には、迷信の存在を伝えない」ことが妊婦に対する思いやりであると伝えましょう。
元の問答:妊婦さんはお葬式に行ってもいいのですか?
供養の場でお経を読むのはなぜですか?
Q:釈尊の言葉をまとめたものがお経なのであれば、なぜ葬式や法事であげるか少し理解できずにおります。教えを書き起こしたものを故人にあげる意味とはどういうことなのでしょうか?
A:経典の読誦は仏に勧められているものではあります。
ここでは自らの修行や、生きているものが聞くものとして経典の読誦が勧められています。
この考えがどこかで「回向」の思想と結びつき、そして追善供養として展開されていったのだと思います。なお、浄土真宗の供養は追善ではなく讃嘆供養ですので、経典の読誦も仏徳讃嘆として見出されていると思います。
ここには亡き人を私たちにとっての諸仏として見出すという考えがあると思います。亡き人から私たちが仏の教えに遇う機会(読経)をいただいたとい捉え方です。元の問答:お経をあげる意味について
ペット、お守り、人形、受精卵。いろいろ供養
お守りを処分したい
Q:お守りがとにかくたくさんあります。正しい処分の仕方を教えていただけませんか?
A:お守りの力は1年くらいといわれています。
お守りを売っているお寺や神社には、古いお守りを納める所がありますので、そこに納めます。気持ちがあれば、お賽銭をするとさらに良いでしょう。元の問答:お守りの処分について教えてください。
嫌な言葉を供養したい
Q:では自分が言われて嫌だった言葉を紙に書いて燃やすか川に流すのがいいと教えてもらいました。私の頭の中から嫌な言葉を消したい。って言ったら罰当たりですか?
A:私も昔ですがある超有名な神社にて紙の人型に厄を身代わりにお願いして水に流した経験があります。それと同じですね。私の寺では古い卒塔婆の他に故人のお写真や燃える遺品なども依頼されお炊き上げ(ご供養してそれらを燃やします)をすることがあります。
元の問答:嫌な言葉の供養
水子を供養したい
Q:私は6年程前に中絶を行ってしまいました。その自分のした罪の重さに、親としての生きていく価値のなさ、この命の重さを年々理解し苦しくて苦しくて耐えきることができません。死んでも償うことのできない罪を前にどのように前に進めばよいのか、立ち直り方がわかりません。
A:中絶というみちに進まれたことをけっして「悪」だとは思いません。それを「悪」にしてしまっている以上、中絶された「いのち」は、ただ「かわいそう」でしかないのです。
中絶を経験したからこそ、いのちというものは、なんとはかなく、なんともろく、そしてなんと「かわいい」ものであったのかを、肌で実感されたはずです。
だからこそ同じ苦しみにいるひとたちのそばに、あなたは寄り添える存在です。もちろん、亡くなった子供達にも、あなたは寄り添えるのです。いのちに、しっかりと寄り添えるひとを、仏教では「菩薩」と呼びます。その菩薩になるために、今の苦しみをしっかりと味わうのが、このわたしたちひとつひとつのいのちの姿です。
ペットを供養したい
Q:いま飼っている犬が死んだ際、仏壇を買ってそばに置いて置きたいと考えています。
しかし周りの人に、「あまりいつまでも思っているのも良くない、たまに思い出すくらいがいい」と言われました。仏壇を置いていつまでも縛り付ける様なことはあまりいい事ではないのでしょうか。
A:ペット用の仏壇を用意しても別にいいと思います。犬ちゃんのおかげで毎日楽しく暮らせてきた事への感謝の気持ちを忘れないようにするための装置としては、ペット用の仏壇もあなたにとって意義があると思います。しかしながら、あなたの心が呪縛されてしまうとなると話は別です。いつお別れになっても悔いの残らないくらい、生きているうちに全力でかわいがってやってください。次に、いざ死んでしまったときはあなたは尊厳ある命として丁重に弔ってやってください。先立っていった犬ちゃんに余計な心配をかけぬようきちんとお別れをしましょう。その後は、あなたが一にも二にも地に足のついたきちんとした生活を送る事が最も大切であり、それが何よりの供養になりますね。
元の問答:ペットの仏壇について
ぬいぐるみを供養したい
Q: 10年前におもちゃ屋さんで買ってもらった、うさぎのぬいぐるみがあります。「処分」なんて書くのも恐ろしいくらい、長く一緒に過ごしました。そのせいか、手放せば罰を受けそうに思ってしまいます。また、怖いドラマなどの影響もあり、供養をしたら戻ってくるのではないかとも思います。
必要のないものなのに、恐ろしい考えに囚われて、どうすることもできずにいます。
A:諸行無常と言って、形ある物は永遠では無い事もまた、この世の法則です。いつかはそれらも役目を終える時が来ます。「捨てられない」のは、執着と言って、良い事ではありません。
お墓やお位牌であれば、そこに宿ってくださっていた仏様に、本来の世界にお還り頂く作法があります。人形供養をしてくださるお寺もあります。今、あなたにとってそのぬいぐるみが十分に役目を果たし終えたとお思いであれば、その楽しかった思い出と、そこにご縁のあった方々に心からの感謝を込めて、あなたの胸に深く刻み直してください。その後の「抜け殻」は気持ちよく「処分」出来るはずです。ぬいぐるみは100%あなたの楽しかった思い出だけで出来ています。あなたに不幸をもたらす物は、一切含まれていませんよ。元の問答:ぬいぐるみの処分
受精卵は命ですか?
Q:不妊治療で顕微授精をし、受精卵をつくりました。幸いなことに、比較的早い時期に二人の子供を出産する事が出来ました。しかし、胎児にすらなれなかった胚のことが気にかかっています。私の中では、施術の日を「慰霊の日」として、せめて自分だけは存在を忘れないようにしようと思っています。 受精卵は命でしょうか?なにかしてあげられることはありませんか。
A:いのちであるし、追悼できます。 仏教では死と生とを分割して考えません。死と生とは連続したものであり、表裏一体のものと捉えます。死の理由・原因は、病気や事故ではなく「生まれたから」と捉えます。仏教の観点から言えば、受精卵(胚)は、因と縁とによって生起し、やがて終わっていく、多くのいのちとおなじいのちと捉えられます。受精卵(胚)は、精子と卵子との合一によって誕生した、やがてヒト個体に成長し、この世との縁が尽き、やがて終わっていく、そのような可能性をもった一つの「いのち」です。
先祖供養について
先祖へ感謝ができない
Q:私の両親、特に母親はいわゆる毒親です。物心ついた時から孤独で…愛されていると実感したことはありません。どうしても「ご先祖様に感謝」という気持ちが持てません。
A:仏教が説いているのが感謝出来ている人が偉いのだ、という話だと思いますか?仏の教えは、おしつけるためにあるのではありません。『自分を生きてみたい。』 という心にいつでも寄り添ってくれるものだと思います。ご自身の決意に不平不満を持たない生き方が 仏の生き方だと思いますからやはり 自分を生きなくてはならない。 と感じます。
元の問答:ご先祖様への感謝
先祖の祟りはある?
Q:本当にご先祖様の祟りのようなものはあるのでしょうか。
A:ありません。但し「先祖の供養を粗末にしている」という負い目がある方は、拝み屋さんや占い師に「先祖の供養を粗末にしているのが、不幸の原因だ。」と託宣されれば、「そうなのかなあ。」と信じて拝み屋さんや占い師の指示に従います。拝み屋さんや占い師さんは不幸の原因を完全に解明することは出来ません。
元の回答:主人の家系が不幸続き
先祖は供養を望みますか?
Q:私たちの先祖は供養してもらうために自分が受けた苦しみと同じ苦しみを与えるものであるという話を聞きました。お坊さん方はどのようにお考えでしょうか?
A:ご先祖様が、子孫に そんなことを、なさる訳が有りません。縁のあった方々は私どもを、守ってくださっています。供養とは私どもの生き様 です。ご先祖様と同じ様に、ホトケ様のお浄土へ生まれさせて頂く為に、手を合わせお参りや、仏道修行をする事、大切な方との想い出に涙し、思い出し、喜んでくれるであろう事をする。いつも守り、導いてくださるご先祖様、実はこの気持ちにさせてくださる事も、私どもに善業を積ませようと言う、お導きなのです。
元の問答:先祖供養について
供養に反対されています
Q:主人の家系で供養されていない先祖がいます。供養したいのですが、主人は目に見えないものは信じない主義の人。お金がかかるだけ無駄だと考える人なので、供養うんぬんに賛同はしてもらえないような気がします…。 そんな状態で私と息子だけでも供養とかできますか?
A:私たち僧侶は、過去現在未来の有縁無縁全ての精霊にご回向申し上げています。ご供養のために、できることはたくさんあります。笑顔を他人に向ける(和顔施)、優しい言葉をかける(愛語施)、など、お金のかからないお布施をすることも立派な修行で、それが廻向といって供養に繋がります。まずはご主人にお金のかからないお布施をすることをおすすめいたします。
元の問答:ご先祖様がわからない先祖供養について
お墓・お遺骨について
自分が死んだあと墓は必要?
Q:私自身の死後の希望は海への散骨です。私の考えとしては、子供や孫に墓を気にかける事が必要なく過ごしてほしいし、海水浴に行って思い出したら、手を合わせるくらいでいいのではないかと考えております。
A:私は、子どもや孫にご先祖様を敬う気持ちを持ってもらいたいと思うので、それには墓石は必要だと思っています。確かに、現在は海への散骨もあるようですが、果たして海への散骨がご先祖様を敬う気持ちに繋がるかどうかは疑問です。故人を偲ぶうえで、遺骨が納められている墓石は必要ではないかと思っています。勿論、それは永代墓地であってもいいのです。
元の問答:いろんな人に反対されますが…
お墓にご先祖様はいますか?
Q:亡くなってすぐ、ご先祖様は生まれ変わってしまって、もう元々の家族のことは忘れて違う人生を歩んでいるものだという考え方があるのを知りました。それでは、お墓にいって何かを報告しても、報告しているつもりの相手はそこにいないのでは?と思うのですが、当然一方通行なのでしょうか?
A:霊というのは日本では、亡くなった人がどこかにぷかぷか浮かんでいるようなイメージを持つ人が多いようですが、霊とか、霊魂、魂、みたまとは、亡くなった人に対する本人の心の中の心象作用のことです。 その方を尊び、同じ命を持って今の自分自身をこの世に存在させてくださった方を思い起こして供養することが出来る「場」を屋内と、屋外に持つ事で、家庭的に関わることが出来、オフィシャル性を持った関わりもできるようになるのです。反対に、私的に海に捨骨してしまったり、遺骨で私的な思い入れのグッズを作ってしまうと、その方を敬って供養したくてもできなくなってしまいますね。
霊魂はそれぞれの人の中の心象作用ではありますが、その方を敬う、敬愛の念を表す為にも尊像や遺影、位牌、墓地を作るのが日本人の宗教性なのです。元の問答:お墓にご先祖様はいるんですか?
手元供養すると魂を苦しめる?
Q:手元供養をすると、その時土に帰れなかったお骨のせいで、輪廻転生の際に身体に不具を負って生まれてくる事になると聞きました。手元供養する事で魂を苦しめるような事はありますか?
A:仏教では魂というものの存在を基本的には認めません。なので手元供養により遺骨や遺髪の全てが土に還れないからといって何か実体的な意味で悪影響があるということは全くありません。 しかし、原因は仏教的にいうならば執着(しゅうじゃく)です。そのことへのトラワレが死後ではなく今、生きている人の心を苦しめることとなります。
元の問答:手元供養につきまして
閉眼・開眼供養はすべき?
Q:空家になってしまった祖父母の家の仏壇を実家に移しました。仏壇を移動したり新しく買いかえる際は、閉眼供養や開眼供養をすべきと知りました。家に来ていただいて供養していただくことはしていませんが、大丈夫でしょうか?
A:本来なら、移動する前に、魂を抜く儀式をした方が丁寧でよかったですが、もうすでに仏具屋さんに引き取ってもらった後のようですので仕方がないですね。新しい仏壇に魂を入れる(開眼)の式を菩提のお寺さんに頼んでしてもらってください。
元の問答:閉眼供養・開眼供養の事で心配
仏壇無しで供養はできますか?
Q:諸事情により引っ越します。仏壇等も当然新居にはなくなるだろうため、先祖の供養が出来なくなることが気掛かりです。金銭面に余裕もないためせめてお線香やお水だけでもと考えてはいるのですが、こういった場合どのようにすればよろしいのでしょうか?
A:何より大切な事は、仏壇ではないです。仏壇がなくても、あなたのその心が供養になります。お寺さんにお参りした時には、お線香をあげて、手を合わせたらいいでしょう。
日々思い出した時に、手を合わせるその気持ちが何よりの供養です。元の問答:仏壇なしでご供養をしたいのですが
法事について
お供え物は法事が終わった後どうなる?
Q:法事でお供えをした物は「おさがり」として皆さんに配るのが普通だと思っていたのですが、そうではない地域もあると知って驚きました。おさがりとして配らないのなら、お供え物はどうなるのでしょうか?
A: お布施した供物はお寺のものです。お寺側がそれをどう使うかまで気にするのは、「所有」感を手放していない、執着心になります。施主の自宅で法事する場合は、基本的には施主宅の仏壇にお供えするので、所有権は施主になりますから、それを分けるかどうかはその家の人次第だと思います。
元の問答:おさがり
浄土真宗での追善供養の考え方
Q:浄土真宗で追善供養をしないのは何故ですか?「追善供養は自力だから」「亡くなった人はみんな極楽に往生して供養する必要がないから」などなど色んな意見があるみたいですが、どれが本当ですか?
A:浄土真宗でも年忌法要を行います。これは追善の法要に思えますが、そうではなく、聞法のご縁になります。故人の年忌をご縁といただき、経典を拝読し、ご法話を聴聞して、南無阿弥陀仏のおいわれを味あわさせていただく場です。法要を行い、故人を供養をしたいという気持ちは、もちろん私たちの中にありますけれども、私たち自身が、実は阿弥陀仏から「大切にまもられ、供養されている」ということに気付くということが、法要の大きな意味合いであると思います。
元の問答:追善供養について
お盆の仕組み
Q:仏教では「お盆にご先祖様が帰ってくる」と一般的に言われてますが、この考えと輪廻転生の仕組みは矛盾しませんか?
A:お盆は、先祖先亡を家庭にお招きして、あたかもそこに追わすが如くにお祭りして、他の精霊にも自らの餓鬼心を離れる為に布施、供養をする日本の国民行事です。
本当は先祖供養がメインではなく、自分の我欲を離れる事がメインです。だから法要、先祖供養をするのです。餓鬼という化け物が実際にいるのではなく、人間の我欲、欲得、自我、エゴ、恐怖、迷妄、苦惑などの心を現した象徴が餓鬼、餓鬼心です。そこに法食、すなわち正しい道理、真理を自らの心の飢渇に施すことによって、みなで成仏する機会です。元の問答:「輪廻転生」と「お盆」
四十九日法要にはお坊さんを呼ぶべき?
Q:今月はじめに祖父がなくなり、9月中旬に家で四十九日法要をします。しかし金銭面などの問題からお坊さんに読経して頂かないことにしようとしているのですがどうなのかと思い、質問させていただきます。
A:その地域その地域のしきたりがあり、その地域その地域の法要の勤め方があります。そのしきたりどおりに勤めたいと思っても、経済的な事情からその通りに出来ない場合もあります。その家、その家の可能な範囲でお勤めいただけば宜しいと思います。菩提寺にさんに率直に家庭の経済状況を説明し、限られた予算の中でどのように勤めたら良いか、相談してみてください。
元の問答:四十九日法要はお坊さんを呼ぶべきですか
供養の意味について
正しい供養とは?
Q:父の供養にと、写真と蝋燭、お線香、お花、おりんをおいて毎日拝んでいます。ただ、これは自己満足であり父の供養になっているのかと考えるようになりました。供養とは誰の為のものなのか、なぜ供養が必要なのか、正しい供養の方法はどうすることなのか、教えていただけると幸いです。
A:本当の供養は仏さまの教えを通して、あなたが幸せに、さらには人様のために生きることです。あなたが人様のために生きることになれば、そのあなたを生んだお父さんも功徳になる理屈もわかりますね。仏教は現世だけでなく、過去世も未来世も、三世に渡り幸せにしていくのです。
元の問答:供養は誰の為?
心を込めた供養とは?
Q:毎朝のお勤めとして、「仏壇にご飯・お茶・お経をあげています。 ご先祖様への感謝とかの心を込めての行動ではなく、義務的なことです。知人いわく、 「心が入っていない義務的な行動ならば、悪縁を結ぶことになり、やらない方が良い」と言います。理想的なのは、「心を込めた行動」でしょうが、「行動しない」よりは、「心が入っていない行動」が良いと思うのは、間違いなのでしょうか?
A:一見、動機の無いように見える行為でも、やがて悟りへと向けた発心(菩提心の生起)へと繋がる可能性が高い行為であると言えるのであれば、善業となる可能性もあるようには存じます。
例えば、日頃から、特に何とも動機がなくとも、仏前で合掌したり、お経や念仏、題目、真言等を唱えていることによって、やがて、真に仏縁に気づき目覚めて、発心するということも十分にありえるからでございます。元の問答:「心を込めた行動」とは?
恩返しはどうやってしたらいい?
Q:つい先日祖母亡くなった祖母への恩返しをしたいです。祖母に何もしてあげれなかった私はこれからどう祖母に恩返しすればよいでしょうか。また、どうすれば祖母に感謝の思いを伝えることが出来るでしょうか。
A:亡くなった人を大事にするというのは、その人が大事にしていた事を大事にすること。教わった大切な事をきちんと大切にしていく事。仏教でいうならば何に手を合わせているのかということです。先祖はみな何に手を合わせてきたのか。仏壇の中心にあるのは法名でもなく位牌でもなくご本尊です。先祖に手を合わせているわけではないのです。先祖が大事にしてきたことを大事にする。おばあ様が大事にしていた事、おばあ様から教わった事を大事にしてください。そして周りの人や次の世代にも伝えてください。それが感謝からの恩返しとなるのではないでしょうか。
元の問答:恩返しの方法
成仏するとはどういうことですか
Q:亡くなった人の成仏とはどういうことなのでしょうか。
A:仏様とは真実に目覚めた存在であり、私に真実を伝えてくれる存在です。その真実とは、例えば人は死んでもそれで終わりではないという事がそうです。今でも亡くなった方の事を大切に考えますよね?そこにあなたとその方の関係(ご縁)があるということです。これは縁起(えんぎ)という教えです。亡き人を心配する私たちが、実は亡き人から心配されて、仏法という真実の教えを伝えていただいているので、私たちは亡き人を仏様として敬い、そうして出会い直しをしていくのです。
元の問答:亡くなった人が成仏するということ
まとめ
いかがでしたでしょうか。供養は亡くなった方のためのみならず、実は私たちが幸せに生きるためのものだと、お坊様さまに教えて頂けました。また、供養には細かな決まり事や形式がありますが、一番大切なのは、供養する私たちの構えない素直な気持ちなのですね。
「供養」と聞くと、法事や葬儀のことを思い浮かべる方も多いと思いますが、本来の供養は大変広く深い意味を持ち、日常の隅々に身近に浸透しているものなのですね。
今回の「供養」は、人の「死」がその中心に関わるテーマです。時に複雑で、繊細な内容であるため、身近な人にさえ心を開いて相談しずらいこともあるでしょう。しかしhasunohaには、人生のさまざまな悲しみや苦しみに親身に寄り添って下さるお坊さんが沢山いらっしゃいます。個別に一対一で相談に乗ってくださるお坊さんもいらっしゃいますので、悩みを抱えている方は、まずはhasunohaへ足を運んでみてはいかがでしょうか。