何もない人生でした
これまで自分の人生を振り返って、
何も残っていないと虚しく感じます。
学生時代は人間関係がうまくいかず、いわゆる青春というものを経験しませんでした。
恋愛というものもしたことがなく、他人と深い関係を持った事もありません。
また、職も転々としてしまい何も積み上げてきませんでした。
学歴も良いわけでもなく、自分は何を持っているのだろう?と虚しくなります。
これからの人生良くしていきたい!と思う事もありましたが、年齢ももう若くなくて
自分は何も持っていなくて、生きるモチベーションというものが保たないでいます。
また、世間が普通はやっている様な事柄も自分は経験できていなくて、置いていかれてる様な遅れも感じます。
生きているのも虚しい、人生終えるにしてもそんな勇気もない、という所です。
やりたい事もわからず、
今まさに人生の迷子になっているなという感じです。
何かご意見をお願い致します
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「虚」と「実」
こんにちは。
お悩みのお気持ちが伝わってきます。
「人生の迷子になっているな」という一文に、あなたの切実な思いを感じます。
私は、一つ提案をしたいです。
それは、なぜ「虚しく感じ」るか、その元を考えて欲しいということです。
「虚し」いとは、実(実体)が伴っていない状態のことをいいます。
例えば蜃気楼とは、まさに「虚」です。
実際にそこに存在していないのに、あるかのように目指すと迷う、そういうものです。
「学生時代は人間関係がうまくいかず、いわゆる青春というものを経験しませんでした」とあります。私も大して上手くいった方ではありません。「学生時代は人間関係がうまくい」く=「青春」でなければなりませんか。「うまくい」かない=「青春」でもいいのではないでしょうか。
「学歴も良いわけでもなく、自分は何を持っているのだろう?と虚しくなります」とあります。
「学歴も良」くなければならないのでしょうか。
誰かが決めたものですか、あなたが決めたものですか。
「虚」を追っていませんか。
「年齢ももう若くなくて自分は何も持っていなくて」とあります。
40代なかばの私から見れば、まだまだお若い気がしますが・・・。まだあると、もうないではだいぶ感じ方が違うと思います。客観的に見ればあなたは若いというのが現「実」ではないですか。
虚しいとため息をつくよりも、あなたなりの現実の中で現実のままで生きていきませんか。肩を落としてもうないと嘆くよりも、自分には広大で無限な世界が開かれていると目を輝かせていきませんか。
今日一日の現実から始められてはいかがでしょうか。
生まれ変わったつもりで
拝読させて頂きました。
あなたが今までの人生で何もなかった、何もできなかった、何も持たなかったと思っておられることを読ませて頂きました。
私達が本当に持っているものとは何でしょうか?形あるものはいつか変わっていってしまいます。どんなにお金があってもどんなにモノがあふれていてもそれは決して自分のものではありませんし、形を変えていってしまいます。まして私達自身も常に移り変わっていくのです。
仏教の教えである「諸行無常」です。であるならば形にとらわれずに形や物を追い求めるのではなく、あなた自身の心をこれから磨いていってみてはいかがでしょう。今でもいろんな出会いもあったとは思いますが、生まれ変わったつもりであなた自身がご自分の為に、ご自分の生きることを見つめ直してみて、これからの未来や生き方を模索してみてはいかがでしょうか?
例えばですが先ほど申し上げました「仏教」を学んでみてはいかがでしょうか?いろんなお寺にお参りしてみたり神社仏閣の行事やイベントに参加してみたり、いろんなお坊さんのお話を聞いてみたり、様々な仏教の本を読んでみたはいかがでしょう。又例えば寺社コンのようなサークル活動に参加してみていろんな体験をなさってみてはいかがでしょうか?
https://jisyacon.com/
その中で様々な方々との出会いもあると思いますし、あなたにとって素晴らしい体験をすることもできると思います。
いかがでしょうか?どうか腰を据えてこれからの未来にお向き合いなさって下さいね。またあなたのお話お聞かせ下さい。あなたを心から応援してますね。