うつ病の人の死ねばいい
今まで自分でうつ病と話す人に何人か出くわしましたが性格がクソでした。
今でさえ怒りを出せますが、直接毅然とした態度を当時にとれたわけではありません。
一人目は死ねばいいのにが口癖の人でした。どんなことに対しても死ねばいいのにという。当時私はまだ20代で純粋だったので、彼に言われた言葉を跳ね返せなくて本当に自殺しようとしていました。なんとか服薬したり治療したりして希死念慮を抑えましたが、あの時の苦しみは今でも忘れません。
また二人目の自称うつ病者は病院でただ、ごねて診断書を書いてもらった事を自慢するような確信犯でした。その方にありもしない噂を流され、結局仕事はやめましたが、結局その人は自分の流した噂の収拾がつかなくなったみたいです。
また三人目のうつ病者もあることないこと噂をばら撒くひとでした。
結局うつ病者にかかわり、仕事を退職にまで追い込まれました。
他にも私が被害を受けたわけではありませんが、彼氏が暴力を振るうと噂を流す人や、生活保護をもらって生活してる人がいます。
ここまで来てうつ病の人は悪くないと思いますが、病気を盾に人をいじめる人が嫌いです。
その人たちは最後は同情されて庇護されて権力を使いパワハラ も人を追い詰めることも平然とゆるされてしまいのうのうと生きてるのが気持ち悪いです。
人が怖いです。こうゆう人と関わりたくなくて社会との関係を断絶してしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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特殊と一般の混同
こんにちは。
あなたは、「うつ病の人は悪くないと思います」という基本的スタンスがあるようです。それは、「うつ病の人」一般を難じているのではなく、様々な実体験を踏まえつつ「病気を盾に人をいじめる人」、「同情されて庇護されて権力を使いパワハラ も人を追い詰めることも平然とゆるされてしまいのうのうと生きてる」人という個別の特殊事例を「嫌い」と言っているのでしょう。
つまり、「うつ病の人」一般と特殊事例を分けて考えている、ということです。
しかし、最後の行であなたはこう書いています。
「人が怖いです。こうゆう人と関わりたくなくて社会との関係を断絶してしまいます」とあります。
表現上の問題かもしれませんが、「人が怖い」とは「うつ病」以外の人を含めて広く一般の人という意味でしょうか。それまで「うつ病の人」について述べられていたのに、突然「こうゆう人」という特殊例が「社会」全体の人一般にまで拡大されています。
つまり、特殊例を一般例にまで拡大して「こうゆう人と関わりたくなくて社会との関係を断絶してしまいます」と述べているように聞こえるのです。
言わずもがな、特殊例は極めて少数派だから特殊なのであり、これを一般にまで拡大して適用するのは論理の飛躍だと思いませんか。大多数の一般の人のことに注目せずに、ごく少数の特殊事例に注目している偏りを憂慮します。
追記
返信ありがとうございました。
質問者からのお礼
私は仮病を使う人に心を殺されてきたので、悲しい気持ちを共感してほしかっただけなのに、的外れな回答でした。今は許せない気持ちは減りましたが、中々同じ境遇や体験をしていないとアドバイスみたいになってしまい難しい相談だなと思いました。とても残念でした。