漠然とした寂しさ。友とはなんでしょう。
学生時代は普通に友人も居ましたし、社会人となって勤めた先ではそれなりに親しい間柄、友達と呼べる人がいました。
結婚してからは家族の事が最優先となり、現在、家族は夫と子供 一人が居ますが、家庭内は基本平和で満足しています。
以前の友人たちとは物理的にも心理的にも距離が少しずつ出来て年賀状をやり取りする程度になりました。
ここ数年は子供の学校絡みの付き合いである、いわゆるママ友との交流もそれなりにはありはします。ですが、深く付き合えるような仲にはなりません。学校で顔を合わせればそれなりに話しはでき、それでいいのだと思いはするのですが、ママ友達のテンション上げて付き合わないと同調出来ない感じのやり方がどうにも自分には馴染まず、そっと距離を置いてなんだか寂しさを感じたりします。
40歳目前にして、友達って何なのだろう…と思うことが増えました。
どんな友人関係も、対人関係である限り、相手を鏡写しとして、何か自分自身の内に気づく事があるように思います。そういった意味で、友人関係の全てが平和ではなく、時に摩擦を生み、悲しみや苦しみがあるものだと思います。
ですが、そう言った事を超えて、真の思いやりや愛情を分かち合えるとき、心震える思いがしたり感動できる素晴らしい関係もまた存在する。
私はこのままでもいいとも思いますが、同じくらい仲間を求めていて、漠然としたような寂しさを感じるのですが、何かお言葉いただけますと嬉しいです。
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出会いは、望む通りの結果となるでしょう。
のんさんのお悩みお察し申し上げます。
のんさんは、相手の心や立場を考えることが出来る方なので、今日まではそれなりの対応をされてこられたのだと思います。
友人についてですが、言われるように今のままでいいのかもしれませんが、それは先回のご相談にもあったような環境から生まれたのかもしれません。
私自身どこまでのお付き合いが友人と呼べる人なのは分かりませんが、何がなんでも友人をと思ったことはありません。むしろその分、家族の方のウエイトが大きいのかもしれませんが、親友と言われるような交流も存在もありません。
のんさんが友人を求められる理由も分かりますが、無理をする必要はないと思います。友人と言う存在は同じ波長であれば長く続くでしょうけど、それぞれが異なれば、自然消滅するでしょうから、又、次の出会いも生まれるでしょう。
今、漠然としたような寂しさを感じているなら同じようなことを感じている人との出会いがあるのかもしれません。
この世は人間関係ですから、常に前向きであればそのような相手も現れると思います。
質問者からのお礼
鈴木海祥様
お返事いただき、ありがとうございました。
この寂しさが、過去の環境から生まれたものかもしれない…というお言葉にハッとしました。
家族間のことだけでなく、全てに影響していたのだなぁ…と、改めて思いました。
認識する事で、この先の段階への扉が開くような思いもしました。
鈴木海祥様にお返事いただき、寄り添っていただき、とてもありがたかったです。私も人に寄り添える人になりたいと思いました。
ありがとうございます。