お礼を言わせてください。
以前2回に渡り質問させていただいた者です。簡単に過去の質問を振り返ると「たくさんの人に迷惑をかけてしまったり傷つけたりしてしまったことへの罪悪感に捉われたりしてしまう」という内容でした。
返答でいただいた「今、どうあるかが大事。過ちを犯したことのない人はいない。そこから何を学ぶか」という言葉に救われた気がしたのです。
正直今でも本当に自分が今の仕事や周りの素敵な人たちとの関わりを続けていいのか、悩む時もあります。「こんな自分が」とよぎる瞬間もあります。
それでも、結果として今自分はここにいて、自分の人生を生きている。
であるなら、過去の過ちを反省し二度としないと心に誓いながら目の前の人たちに誠心誠意向き合っていくしかないのかなと考えるようになりました。迷惑をかけた方や傷つけてしまった方からしたら開き直りに聞こえるかもしれませんが、「あの経験から学び反省して今がある」と思えるようになりたいです。
これもまた自分の気休めに過ぎないかもしれませんが、毎朝両親がかつて購入してくれたお守りを握り「今日一日正しい行いができますように。私の過ちで迷惑をかけてしまったり傷つけたりしてしまった方が少しでも幸せになりますように」と祈る習慣を続けています。
こちらのサイトに勇気を出して書き込んだおかげで大切なことを学び、そして少しずつ自分と向き合えるようになった気がします。時間が戻らない以上、これからの数十年の人生を通じてたくさんの人の為になることをしたいと思います。
手前勝手ですが、もしよろしければこんな未熟者の私の背中を押し、何かアドバイス等があればお言葉を賜りたいです。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それでいいんですよ
そのまま、その生き方を続けていくこと。それが「罪障消滅」になりますよ。
あなたに、日蓮宗の元法主(日蓮聖人の代わり、総本山身延山久遠寺の住職)故 岩間日勇猊下のお言葉を送ります。
さぞ苦しいであろう。
さぞお困りであろう。
死んだほうがましだと考える
その心もちもよくわかる。
だが あなたよりもっと苦労しながら
立ち上がった人がある。
もっと困っていながら
切り抜けた人がいる。
絶望してはならない、
人生には必ず活路がある。
人を呪うよりも
自分の在りかたを 反省することだ。
人の幸せをうらやむよりも
自ら築くことに努めることだ。
そして神仏に仕えるつもりで人々に奉仕すれば
人々を幸いにするとともに自分が幸いになる。
善人は人から重んぜられ
正義は人から尊ばれるはずである。
もし善人なればこそ
悪人にきらわれ
正義なればこそ
不正の輩に却けられる。
善人必ずしも重んぜられず
正義必ずしも尊ばれられない。
だが悪人にして栄えたためしなく
不正にして誉れを得たものはない。
重んぜられずともよい
私は善人でありたい。
尊ばれなくともよい
私は正義であることを欲する。
どうぞ、ご精進下さいませ。
南無妙法蓮華経
質問者からのお礼
日延様、返信ありがとうございました。
人を傷つけ、迷惑をかけたのも私ですが、今、反省し前に進もうとしているのも私。これからの人生でたくさんの人の為に頑張ろうと思います。少しでも正しい行いができますように。