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感謝することについて

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

人を憎んだりするよりも何事にも感謝するほうが良いというような話を
聞くのですがお坊さんの方に是非お聞きしたいことがあります。
仏教について善意で薦めたつもりが下らないやしょうもないなどいきなり否定してきた相手がいたとして
もしお坊さんはそんなシチュエーションに出くわしてしまった時、その相手についてどう思いますか?
多少怒ったり恨んだりしますでしょうか?
どのように捉えるか、どのように捉えようとするべきか是非教えていただきたいです。
このような相手にも感謝はできるものなのでしょうか?よろしくお願いします。

2024年3月10日 9:04

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『自分との対話』。

はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。

『仏教について善意で薦めたつもりが下らないやしょうもないなどいきなり否定してきた相手がいたとして
もしお坊さんはそんなシチュエーションに出くわしてしまった時、その相手についてどう思いますか?』

仏教に限らず、いわゆる宗教心というものの基本に
『自分との対話』
が挙げられるのではないかと思います。

「自分」というのは不思議なもので
あやふやで輪郭がつかめないのに
人とのつながりの中で
気がついたら生きているんですよね。

だからしっかり自分と対話する。
その場合たいてい相手を必要としますので
他者と対話することになります。

さて、ここで他者が
「くだらない」「しょうもない」と言ったところで
それは相手自身の問題であって
私の問題ではありませんから。

誤解や行き違いで口論になったとしても
それはお互いの反省で済むことかなと感じます。

また怒ったり恨んだりすることもあるかもしれませんが
それこそは宗教心に則るかぎり
相手の問題ではなく私自身の問題だということになります。

何が起きるか分からない人生。
恨まずにはいられないこと。
感謝できない自分。
まざまざと見せつけられてもおかしくないですから。

感謝できるかどうかは
自分との対話次第、
その都度自分の問題をきちんと受け止めていこうと思えるかどうかに
かかっていると私は思います。

できることなら
そういうことをお互い分かる者同士
対話をしていきたいものですね。

そういうときは感謝できると思います。

ご参考いただければ幸いです。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2024年3月10日 17:39
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有り難し
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吉井浩文
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質問者からのお礼

自分自身の問題というのとできる限り共感できる人に近づきたいと思います。
回答いただきありがとうございました。

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