幸せだった頃を思い出すと涙が止まりません
以前も、親のことでご相談させて頂きました。
自分と違う考えを持った人は悪人で、他の関係は全て諦めたのだから私の側に居てと娘に当然のように要求し、思い通りにならないとヒステリーを起こす母親。
内弁慶で、外での鬱憤を晴らすため子どもに八つ当たりをし、私が何か失敗をすると ここぞとばかりに挫いてくる父親。
二人とも「〇〇してやっただろ」が口癖で、私が不幸そうにしていると機嫌がいいのです。
一緒に居るのが辛くなり、カウンセラーの先生にも相談したところ、うちの親は精神的に子供を虐待する親であり、成人したら出来るだけ早く親元を離れなさい、と言われました。
以来、家に帰ってもなるべく顔を合わさないようにして、何とかやり過ごしています。
そんな私ですが、親と居て幸せな時期もありました。
3歳になるまで位は、夫婦間に立ち込める不穏な空気は分からず、その頃は父も母も、私に笑いかけてくれていたのを薄っすら覚えています。
そんな時期があったからこそ、親が私に暴言を吐くようになってからも私はどこかで親を信じ続け、きっと元に戻ってくれると虚しい努力をし続けていました。
私は親に愛されていないのでは、と初めて疑った時、精神的に孤児になったような気持ちで、絶望と途方も無い孤独感の闇に突き落とされましたが、仕方なく現実を受け止め、気持ちが落ち着いてくると同時に、ふとした時に幸せだった頃を思い出すようになり、思い出すと涙が止まらなくなりました。
暖かな明るい雰囲気の中、笑顔の両親の真ん中で手を繋いで無邪気に笑う幼い頃の自分の姿を想像すると、泣けてくるのです。(記憶としては無く、あくまで想像です)
不安、悲しみではなく、生前とても大切に想って下さっていた故人を思い出して涙が出る時のような感情です。
この時、私は自分に何と言い聞かせれば良いでしょうか。
教えて下さい。
(お願いがあるのですが、「御両親は本当は貴方を愛していらっしゃるのでしょう、ですが……」という現在形の回答は、精神的に今がとても辛くなってしまいますので、どうかしないで頂きたいのです。身勝手をお許し下さい。)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
縛られなくていい。血の繋がりがあなたを幸せにするわけじゃない
心理的虐待だと、カウンセラーの先生も仰っているのね。ずっとそうやって、心を傷つけられてきたのね。それでも親から逃げることも出来ず、育ってきたのよね。
恨んだり憎んでいるのかと思えば、そうもなれない自分がいるのではないですかね。望まれ愛されていた頃もあったはずだと、思いたい自分が。ここに生まれてきた理由を、無意識に求めているのかも知れないですね。
そんなものに、縛られなくていい。
血の繋がりが、あなたを幸せにするわけじゃないわ。
あなたが生まれる前から、仏様は、あなたを愛し慈しんでくださっていますよ。心の親です。泣いているあなたを、包んで抱きしめてくれる、周りを想い出して。その繋がりは、これからも続いていくからね。
質問者からのお礼
今回も回答を下さり ありがとうございます。
幸せだった頃を思い出すことが苦しいのであれば、やはりそれも執着であると気付くことが出来ました。
私は、自分が両親から本当に望まれた存在であって欲しいし、愛されたい。確かにそうです。
しかし よく考えてみると、幼い頃は愛されていたのかと言えば、これまた分かりませんし、自分で幸せな記憶を創り上げているのかも知れません。どちらにせよ、今ここには存在しないものなので、趣味や友だちなど、今ある幸せや希望に目を向けて、前を向いて生きていきたいと思います。
執着を手放すのは簡単ではないですが、また泣きそうになった時には「私の心の親である仏さまは、いつでも、どんな時でも私のことを見守ってくれていて、わたしはどこに居ても仏さまの愛に包まれている、仏さまは私を嫌いになったりしない」と考えを変えてみようと思います。