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本当の幸せというものについて

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有り難し有り難し 13

きっかけは、とある人に「幸せになれ」と言われたことです。
その時は「もちろん!」と即答しました。

ですが、その後一人で改めて考えてみると私は自分の幸せということがよく分かっておらず、
このままで本当に幸せになれるのかな…?という不安が心にうまれました。

そこで幸せについて知りたくなり皆様の考え方を伺いたいです。
2つ質問があるのですが
まず1つ目は自分にとって最高の幸せとはどうすれば見つかるのか、と
2つ目はその幸せとは努力して実現するものなのか、又はいつの間にかそこにあるものなのか
というものです。

上記の2つについて様々な方からの意見を聞かせてもらいたいです。
長文で読みにくいですが何卒よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幸せとは求められること

この世は幸せに満ちているのにそうとは認めないのが今の人々。幸せは感じるものであってその辺に転がっているものではない。また作り出すものでもない。
あなたが幸せになりたいと願うなら人に求められる人間にお成りなさい。それ以外は不幸の種を孕んでいると心得て近付かないことだ。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

常在様
回答ありがとうございます。
幸せがどういうものか分かりました。
私が求められる人間になるために努力していこうと思います。
本当にありがとうございました

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