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ある男性との関係について

回答数回答 2
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はじめまして、よろしくお願いします。

現在私には、セフレ関係であると思われる男の人がいます。去年の夏に知り合い、現在までに月に2、3回程会っています。
最初はなんとも思わなかったのですが、会うたびに彼のことが気になってしまいます。

相手は自分のことをただのセフレだとしか思っていないから…と自分に言い聞かせてるのですが、今までこのような関係をもった男性がいなかったため、頻繁に連絡をくれ、些細なことも覚えてくれていたりなどの彼の優しさがセフレに対する一般的なものなのか、少しでも私に気があるのかがわかりません。

今のような関係をやめなければいけないとわかっているのですが、自分の気持ちを伝えるのが怖く、それがきっかけで一切会わなくなるというのも嫌だという気持ちが自分の中にはあります。

どのように考えていけばいいか、また行動していけばいいかをお聞きしたいです。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うわべの良さに騙されてはダメ

ハナミズキさんこんにちは。
ハナミズキという歌の歌詞に君と好きな人が100年続きますように~♪
というフレーズがありますね。
「君と好きな人とのセフレの関係が百年続きますように」だったら、歌詞として激ショボです。
「セフレだから」なのです。
彼のやさしさも、魅せ方も、接し方も。
セフレだからこそのそのやさしさなのです。
相手に割り切った感があるからこそのライトな人間関係で、お互い都合がいいだけだと思っていてください。
そもそもが相手もセフレだと思っているということは、そういう人間性であるということが彼の本質です。
仮に彼と一緒になってもあなたとの関係に飽きたらまた別のセフレを作ることは確実です。
一度だけ彼の真意を本当に確かめてみてください。
損得無しで。
今、彼女何人いるの?
真剣に付き合う気ある?
相手の反応を見ることです。
おそらく遊びたいたけだから、あなたにとってはがっかりぽんな反応が返ってくるでしょう。
そうしたら、それはそれで学び。その日で好きな人が出来たという事でお別れすることです。
それで追っかけてきてくれるならドラマもんです。
「オレが悪かった。1からやり直そう。」
「それって…付き合ってくれるってこと?」
「え?セフレとして。」
そこで思いっきりビンタして縁が切れます。
現実を観ましょう。あなたの頭の中のストーリーに恋しているのが危険な恋というものです。
未来のベイビーちゃんのためにも、ちゃんとしたパパ(愛人ではない)になるタイプをみつけてご自身を大事になさることです。あなたの女性としての自立を祈っています。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

傷つくかもしれない。でもそれが人生の糧となる。

はじめまして。拝見させていただきました。

真剣なお付き合いがしたいと望むのであれば、今の関係を一度止めることだと思います。何かしら行動を起こせば彼もまた何かしらの変化があるのではないでしょうか。

気持ちを伝えるのが怖いというのは、深く考えてみれば「自分でもいけないとわかっている関係」が終わってしまう。意味がなかったのだと思いたくないという気持ちが奥底にあるのではないでしょうか。それが傷つきたくないという気持ちとなって現れているのではないかと思います。

彼を受け入れるならばそういう関係をこれからも続けていくことそのもの。その行動が彼そのものとして受け入れることが肝要です。優しさだけを受け取ることは彼の一部だけを欲しているのと同じだからです。

自分自身とよくよく話し合い、本当に自分が安心できるのはどうすればよいのか考えてみることをおすすめいたします。自分の心に嘘をつくのはしんどいです。傷つくかもしれません。あなたは優しい心を持った方だと思います。彼の幸せ、自分の幸せを考え、安心できる道を考え一歩踏み出すことを応援しております。

合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせていただいております。

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