善意と自己満足の違い
はじめまして。
コンビニでアルバイトをしている大学生なのですが、与えられた仕事が時間内に終わらないことが多々あります。
私が働いているコンビニは、残業代が出ないことになっていて、その代わり、与えられた仕事が終わらなくても帰って良いよということになっています。そういうわけで、私の仕事を見てくださっている店長も、退勤時間が来れば、仕事が終わっていなくても帰っていいよと言ってくださります。
しかし、私がそのまま帰ってしまえば、私が残した仕事は、結局は毎日激務をこなしていらっしゃる店長がその激務の中やってくださるわけで、それは非常に忍びないのです。
そこで、仕事を残した日のうち、3回に1回くらいは残業をして仕事を終わらせることにしています。私としては、この方が、心残りなく帰れます。
しかし、労働者に無給で残業をさせるのはおそらく犯罪ですし、店長は内心迷惑しているかもしれません。また、同シフトで働いている主婦の方は、レジ打ちが主な業務で、残業をすることはなく、定時で帰って行かれます。私が残業すれば、この主婦の方も、定時で帰るたびに肩身の狭い思いをしていらっしゃるかもしれません。そもそも、残業するくらいなら、時間内に仕事を終わらせることに全力を注ぐべきです。
このようなことを考えていると、私が残業するということはむしろ単なる自己満足にすぎず、定時で帰って、忍びなさを一身に受け止めるほうがむしろ善良なのではないかというような気もします。
店長に残業すべきか直接聞こうかなとも思うのですが、それも言質を得ようとしているだけのよう感じがして気が進まず、どうも八方ふさがりといった状況です。
これ以外のことでも、私は、最近善意と自己満足との区別について悩むことが多くなっています。
善意と自己満足との違いについて、お坊さんのお考えをお聞かせ願えればありがたく思います。
人との距離感がつかめない
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拝
拝読させていただきました
人間の本質は
コミュニケーションともいえます
人は1人では生きていけないですものね
心掛けはとても素晴らしいです
ただ相手に伝えるという表現を怠ることで誤解や気持ち悪さが生まれてしまいます
貴方が不和感を感じているなら
それは改善しなければなりません
何故ならそれは仕事場全体に影響します
例えば店長さんには
「すみません早く帰って良いと頂きありがとうございます。でも覚えるまで残業代要らないので最後まで仕事させて下さい」というべきですし
レジの方には
「すみません僕仕事遅くて少し残業しますが気を悪くしないでください」
と笑いながら伝える事ですね
仕事は実は実務よりコミュニケーションが重要な事が度々あります
というよりむしろ仕事はコミュニケーションで評価される事の方がはるかに多いです
たんに「仕事が出来れば良い」と多くの人が勘違いしますが、全てにおいて最も大事なのはコミュニケーションを通した関係性なのです
どんなに精度の高い仕事をしても
どんなに一生懸命働いていても
言葉や表情、姿勢それらの表現が伴わなければ評価に繋がる事もありません
何故なら仕事だけで多数の人の満足に繋げることは不可能であるからです
他人を理解できればこそ
みんな安心して任せて仕事ができるからです
できない事を恥じること必要は無く
できない事を伝え知ってもらい
見守ってもらったうえで
頑張る姿を見届けてもらう
だからこそ自分以外の為に本気になって
頑張れるんです
「出来ない」と伝え
「微笑みながら頑張る」姿を見守ってもらう人って人は素敵だと思うでしょ?
こういう素敵な人の像を目指せばいいんです
お客さんにもいつも笑っている素敵な人が時々いるでしょう?
こういう人がどんな仕草に注意を置いているか見てを盗める
サービス業にはそんな特権があると思います
ですからけっして八方塞がりなのではなく
まだ貴方が伝える事の重要性に気がついていないだけです
私は、仕事には投資という側面があると思います
ですから、自分にとって面白いとか、必要だと思うならただでも、安くても行う必要があると思います
そして早く終わらせるスキルを磨く事です
人生も仕事も自分の言葉と行動を上手に使うと思うがままと思うと良いですよ
まだ仕事も言葉を上手く使えていないだけですよ^_^
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
思えば、私は自分の中で考えを巡らせ、決めつけるだけで、人に伝えるということを怠っていました。
これまで、人生のあらゆる場面においてそういうことがありました。
まずは人に伝えてみること。
目から鱗が落ちる思いです。
本当にありがとうございました。