容姿に自信が持てない
こんにちは。タイトルの通りですが、私は自分の容姿に自信がありません。「かわいい」「美人」なんて他人に一度も言われたことがないです。
昔から私の周りは容姿が整った子が多く、いつも彼女たちと自分を比べてしまいます。そんなコミュニティでなんとかやっていく術として、私は「私ブスだからさー」と自身の容姿をネタにして笑いを取る自虐という技を使い生きてきました。
しかし、最近は自虐をするのが苦しくなってきました。「やっぱり自分がブスなんだ」と自虐を口にするたびに思ってしまうからです。自分の容姿を好きになって、このような自分を痛めつけるような言動をやめたいのですが、なかなか自信が持てません。
ダイエットをしたり、メイクを頑張ってみたりといろいろしてますが、どうしても周りと比べて落ち込んでしまいます。どうすれば自分の容姿を受け入れるようになれるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「自虐」でもなく、自慢でもなく
こんにちは。
結論から言いますと、「自虐」でもなく、自慢でもなく、内面からにじみ出る「容姿」を磨いてはいかがでしょうか。
あなたは、次のように述べています。
「周りは容姿が整った子が多く、いつも彼女たちと自分を比べ」てしまうと。
では、「ダイエットをしたり、メイクを頑張ってみたりといろいろ」した結果、「かわいい」「美人」と言われるようになったとします。あなたは、今度は「自虐」から自慢に切り替えられるかもしれません。それは、今より幾分か心地よくなるでしょう。
しかし、今度は「かわいい」「美人」という他者からの評判を維持し続けるために、終わりのない多大な労力を必要とします。「かわいい」「美人」には、やっぱりそれなりの苦労があろうのだと思います。
この考え方の問題点は、以下の二点です。
・他者の評価に、自分の評価を委ねているということ。この前提が既に他者に振り回される素地があるということです。
・他人の目を、評価を気にしすぎて円滑なコミュニケーションが取りにくくなる可能性。この人は、私をこう思っているのではと、「自虐」にしろ、自慢にしろ他者の目が気になって仕方なくなります。そうするとその人の話したいこと、気持ちに目が行かず、自分への評価のみに意識が集中するというすれ違いが生じて、円滑なコミュニケーションが取りにくくなることが予想されます。
だから、他者を中心にした、他者のフィルターを通して自分を見るという前提をできるだけ捨てない限り、安心できる日は来ないのです。
勿論、お化粧などの外面的な魅力も大切でしょう。
しかし、いかに綺麗な人でも、人への気遣いの無さやぞんざいな物言いを目の当たりにするとガッカリということも少なくありません。多少、美容には疎くとも、溢れるような笑顔や、細やかな心遣いをする人に接すると、とても魅力的に見えます。「容姿」とは、その人の総合力なのだと思います。
外見とともに、内面からにじみ出る「容姿」を磨いてはいかがでしょうか。
「容姿」とは、外見+笑顔+言葉遣い+心遣い+etcなのですから。