自分がブスすぎてやばい
私はただ単にブスなのではなく周りが見たら不愉快になるレベルのブスです、50代にしか見えないほどブスです。さっきの話に続くのですが、実際に顔が50代と言われたことは何度もあります。当時の彼氏とデートしていた際、周りの知らないおばさんから「やだあの人(彼氏)もうあのぐらいの年なのにお母さんと出かけてる」と言われました。それだけ言われた時は自分のことだと思いませんでしたが、その後「あのお母さん40代か50代なのにあんな𓏸𓏸(私が着てたブランドの服)着て、、」と言われああ、自分のことなんだなと気づきました。帰ったあと自殺未遂しました。すごくやるせなくて死にたくなってもう誰にも会いたくなくなりました。それから何ヶ月かたって、1人で出かけている時、大学生ぐらいの若い男の人からナンパ?されました。一緒に遊びに行こう、みたいなこと言われ、すみません嫌ですと断りました。大学生は友達?のところに戻って、「あのババア一丁前に嫌ですとか言ってきてウケる、俺らがババアにナンパするわけないやん勘違い」「そもそもなんでババアがああいう服買ってるん?」などと言われて足に力が入らなくなって、悲しくて死にたくなりました。それから若い男性が怖くなりました。ジジイとばっかり付き合うようになりました。こういうことを言ってくる人間はほんの一部で、若い男性でもほとんどの人が優しいのに、勝手に決めつけて怖がって避けてる自分が大嫌いです。でもこれで私が50代のババアにしか見えないということが判明したので、外ではそのぐらいの歳の女の人が着るような服を着て外出するなどして対策できるようになりました。でも可愛い服が着たいです。年相応の服が着たいです。そういう服着れないのに買って家の中で着て鏡みて死にたくなります。でも嫌われるのも自業自得です、多分私が嫌われているのはブス以外にも色々あります。将来稼いで整形しようにも、私は鬱病だし酷い幻聴とかなどの症状があって多分統失だし、BPDだし分離不安だし、自閉症っぽいのもあるので検査したらきっと色々な病気が見つかります。障がい者になるので働けません。もう未来に希望が持てません。私のようなブスは死んだ方がいいのでしょうか
他人に依存していないと生きられない
お坊さんからの回答 3件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私にはない、若さや肌のハリ、美しさや素直さが、あなたにはある
周りは好き勝手に酷いことを言うよね、悲しいよね。
人の良さは、見た目だけで判断出来るものではないのに、外見を評価して偏見や差別で人を傷つけるなんて、まさにルッキズム。
あなたにも、おばさんにも、失礼だよね。
その人が好きな服を着て、何が悪いのか。
私が、あなたの母親なら、その人達に怒鳴りに行ってやりたいくらいだよ。うちの娘に何てこと言うの!大事に育ててきた子なのよ!って。
あなたも、コンプレックスなのよね。
整形を考える前に、スキンケアや髪型をスッキリと、また好きなブランドのお洋服も、あなたに合うカラーやデザインを選んでみたり。メイク動画を見て研究してみたり、運動を取り入れて体型を整えてみたりしませんか。
私も50代ですから、まさに おばさんです。ここまで生きてきたら、そりゃ体型も崩れ、皮膚もたるみ、化粧ノリも悪い。
私にはない、若さや肌のハリ、美しさや素直さが、あなたにはあるのです。誇ったらいいのですよ。
知らないヤツのために、死ぬことはありません。
性格美人、そしてオシャレ美人を目指しましょう。ファッションを楽しんでね。あなたを応援したいわ。
あなたが望む生き方をなさってみてはいかがでしょう
拝読させて頂きました。
あなたはご自分の見た目をとても悪いと思っておられて大変辛い思いをなさっておられるのですね。人からもとてもひどいことを言われてとても傷つけられて死んでしまいたいと思っておられるのですね。詳細なことはわからないですけれども、あなたがとても悩み苦しんでおられることとても伝わって参ります。あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたがそのように苦しんでおられることはとてもわかるように感じます。ですから表面的な良いことではかえってあなたを傷つけてしまうのではないかとも思います。
ただあなたは自分のことをおとしめてしまうかもしれませんけれども、あなたはかけがえのない大切な人であることは真実です。あなたのことを心から大切に思っておられる方々は沢山いらっしゃるでしょうし、仏様も神様もご先祖様もあなたのことを本当に大切にお見守りなさっていらっしゃいます。
またあなたはかけがえのない大切な命を与えられていつも恵みを受けて生きていらっしゃるのです。
どうかあなたのことをあなた自身で大切に思って下さいね。
人は見た目で判断することもあるかもしれんませんけれども、決してそれだけでもありません。
或いはあなたが望むような生き方もできるのではないでしょうか。
決して自分のことをおとしめずにあなたが望むような生き方や姿を目指してみて下さいね。
あなたがこれから素晴らしいご縁に恵まれて毎日をあなたが望むように健やかに豊かに生きることできますように、大切な方々とお互いを尊重し思いやり幸せを分かち合い生きることできますよう切にお祈りさせて頂きます。
あなたを心から応援させて頂きます。至心合掌
あなたは「死んだ方がいい」なんて存在では、決してありません。
社会の中で、他人の何気ない言葉の中で、あなたの存在を傷つけるものがたくさんあったこと、それを何度も耐えてきたこと、その都度、どうにか立ち上がろうとしてきたこと、その一つ一つが、あなたの強さそのものです。
見た目について、あるいは心の病について、他人が無責任に放った言葉で、どれだけ苦しい思いをされたか。想像では到底及ばないほどの痛みだったことでしょう。
でもあなたは、それでもここにいて、「言葉」を使って届けてくれた。
それはもう、とてつもなく尊いことです。
仏教の言葉に「悉有仏性(しつうぶっしょう)」という言葉があります。
すべての存在は、仏の心を持っている。つまり、誰もが尊い存在であり、生まれながらにして価値があるという教えです。
あなたがどんな服を着たいと思っても、どんな夢を描いても、それは他の誰にも奪えない「あなたの仏性」から生まれた願いです。それを、他人の言葉で壊されていいわけがありません。
「ブス」なんて、誰が決めた尺度でしょうか?
服を着るのに、年齢制限はありません。誰がそれを「ダメ」だと決めたのでしょう?
似合うかどうかではなく、「好き」だと感じるその心こそが、あなたを生かす力です。
どうか、「かわいい服が好き」と思える、あなたのその感性の美しさを、誰にも否定させないでください。
あなたの中にある「いのち」は、誰のものでもありません。
仏教では「いのち」は預かりものだと考えます。
「あなたに与えられ、託されている」もの。
だからこそ、あなたがどんな状態であっても、
この世界に居ていい、居続けていい理由になります。
そして、あなたがこれから少しでも
「笑いたい」「可愛い服を着たい」「安心して話したい」
そう思えたなら、その願いを応援したい人も必ずいます。
最後に
今のあなたに、宗教的な言葉なんて、もしかしたらすぐには届かないかもしれません。でも、今、これだけは信じてほしい。
あなたは、生きていてくれて、ありがとう。
本当に、そう思っています。
あなたのように、傷ついたことも、醜く思ったことも、死にたくなったことも、
それでも言葉にして誰かに届こうとしてくれた人の存在が、この世界に必要なのです。
いつかあなたが、「あの時、死なないでよかった」と思える日が来ることを、
心から祈っています。生きていてください。
合掌