大切な人を捨ててまで、夢を追うこと
閲覧ありがとうございます。
私には小学生からの夢があり、そのことばかりを、
本当にそのことばかりを考えて生きてきました。
全ての行動や選択はその夢の糧になるだろうという考え方をして生きてきました。
私は薄情で、甲斐性もなく、不器用で要領も悪いので、夢さえ叶えば自分自身を肯定できると信じ込むことで辛うじて生きてきました。
夢に縋り付いていると言っても過言ではありません。
孤独でも生きていけるように、かといって人間は一人では生きられませんから、各地を転々として浅い人間関係を保つ程度で生きていこうとしていました。
海よりも深く、恋に落ちるまでは。
私は無様にも成す術なく、それに溺れました。
彼のことを、生涯愛していると思います。
そして彼も、私のことを想像を超えて愛してくれました。
約1年間、信じられないくらい、とても幸せな日々を過ごしました。
そして私は、生きている意味がわからなくなっていきました。
気が付けばアルコール中毒になっていて、酒の匂いをさせて出社し、普段考えることも以前よりずっと馬鹿馬鹿しくなっていて、ずいぶん軽薄な人間になっていて、自分自身のことは、「私に似た何か」のように思えました。
これは、夢を叶えるための時間が減ったストレスによる自傷行為だと思いました。
古い友人が、私のもとを訪ね、夢のことを思い出させてくれました。
友人が、夢を叶えるための手伝いをしてくれるようになって私は、彼と会う時間が全くなくなりました。
彼は今の土地から離れられないし、いつまでも私はここにいられないので、「夢を叶えたらもう会えなくなる」と、頭の隅でわかっていたからです。
夢に再び向かい始めたら、毎日浴びるように飲んでいたお酒も、一滴も飲まなくなりました。
私はこうしか生きられないんだと強く思いました。
しかし、彼に全て話したときから、彼は鬱病みたいになってしまいました。
私は夢を叶えたい自分と、彼に一生寄り添いたい自分とで2つに引き裂かれそうになり、何度も泣きました。
でも私は、彼を捨てて、もうすぐ夢を叶えるために上京します。
自分勝手で、残酷で、最低だと思います。
彼が辛い思いをすると思うだけで、泣きそうになります。
彼と幸せに暮らしている未来を想像して、胸が苦しくなります。
でも夢に向かわなければ自殺しそうになります。
これで、いいんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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後は走り出すだけ
こんにちは。
あなたにとって、「夢を叶える」ことが人生の最大にして唯一の目標なのだと思います。「夢」に向かって精神の全てを傾けることが、あなたにとって生きるそのものなのでしょう。
一度、「夢」を追いかけるのをやめて、恋という安住の地に落ち付きかけた。
けれども、「夢を叶える」ことが生きる上で不可欠であることに気が付いた。
「私はこうしか生きられないんだと強く思いました」、という一文に紆余曲折を経たうえでのあなたの感慨が伝わってきます。
あなたは既に決断をしています。
「彼を捨てて、もうすぐ夢を叶えるために上京」する、と。
あなたは「これで、いいんでしょうか」と尋ねています。
しかし、あなたはそもそも他者に尋ねる必要があるでしょうか。
回答を聞く必要もないと思います。
私は、あなたを突き放してそう言っているのではありません。
若者が、人生の目標を見定めて動き出そうと思っている。
恋ではなく、夢こそ今の自分に必要だと。
そこに、年長者のくどくどしいアドバイスは無粋だと思うからです。
あなたは、生きる原動力を得た。
後は走り出すだけ、でしょう。
応援しています。
質問者からのお礼
視野が狭くなっているかもしれないと思ったので第三者の意見を戴きたかったのですが、甘えだったかもしれません。
たしかに、自分が選んだ道を行くほかはないんですよね。ありがとうございました。