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義理の母

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有り難し有り難し 7

宜しくお願いいたします。

同居の義理の母がとても良い人なのですが、自分に自信がなく、夫の妹(義理の母にすれば娘)から都合の良いように使われてます。

夫の妹は定年退職して自宅にいるのですがアルバイトで土・日曜日に飲食店に行ってます。夫の妹は自分の娘の子供を3人普段は見てるのですがアルバイトがる土・日曜日になると実家である我が家に押し付けます。
(夫の妹の娘さんは児童館勤務なので平日休みで土・日曜日は仕事ですそのご主人も日曜日休みなのですが平日残業などで遅いため日曜日にはゆっくりしたい為仕事と嘘をついて日曜日なのに月4回のうち2回はパチンコに行ってるそうです。)  ほかの親戚の人から聞きました

で夫の妹は自分のお願いするときには『母ちゃん、わてもアルバイト先の人に頼りにされて断れんから、孫お願いね。」と言っておいていきますが。
義理の母が、「病院行きたいからお願いできる?」と言ったら。「わても土日働いて平日子守で疲れてるから無理。」
と断られます。
結局私が会社を休んで行くことになります。

3人のひ孫守りも義理の母だけでは無理なので私たち夫婦も手伝ってます。

子守の次の日になると、『疲れた」「しんどい」と言うのでたまには断ってみては?と助言すると義理の母が娘さんから『そんなこと言わさない、絶対見てね。私アルバイトOKしたから。」と取り合ってもらえないみたいです。

私もお義理の母に強く言えばいいのでないかというのですが、「後々怒られるから」とか『怖いから』と言ってます。

私は、義理の母に何と助言してあげればよいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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守る

私のことは夫が守ってくれる。
だから義母さんは私が守る!

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます。    今後も義理のお母さんのことは私が守ると強く思って接していきたいと思います。   義理の妹も強がって生きていることは、たぶん自分に自信がなく寂しさの表れのための行動だと赦して私が話相手になってあげようともいます。

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